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あぁ‥あの時あぁ言っておけば良かった現象について

一度アップした記事を修正するのに抵抗がある。軽微な誤字脱字なら直すが、大幅な変更はあまりしたくない。「男に二言はない」とか、そんなキャラではないのだけれど、そういう気持ちになってしまうのだ。

だが僕は、昨日アップした記事を修正したい衝動に駆られている。

あぁ、書き換えたい。あぁ言っておけば良かったのに‥。

タイトルから分かるように「労働を押し付ける」というテーマの記事だ。だが、意外性を持たせようと思って導入部分は女の子におっぱいを押し付けられるエピソードからスタートしている。そして、おっぱいの話で幕を閉じた。

後から思い返したときにもったいないことをしていることに気づいた。「押し付ける」という言葉を重複して使用しているのだ。この点はもっと活用できた。

例えばタイトルを『労働とおっぱいの押し付け』みたいなものにするとか、オチに「労働は押し付けずに、おっぱいだけ押し付ければ幸せになれる」みたいな感じにするとか、そういうレトリックを効かせることで、キャッチーかつウィットに富んだ印象を持たせられたはずだ。

いや、決して抱腹絶倒のギャグってほどではない。それでも、クスッと笑える程度のちょうどいいアクセントになったと思う。

あぁ。もったいないことをした。

公開前に推敲できるnoteにおいてすらこういう後悔がおきるのだから、さらに瞬発力が求められる日常会話ではしょっちゅう起きる。僕はコミュ障だから頻繁に起きるけれども、コミュ障でない方々にとってもさほど珍しい現象ではないと思う。

もちろんこの場合も、後から話し相手に「あの時言いたかったのは〇〇で〇〇で〇〇ってことなんだよね」とLINEの追撃を行うことだってできる。

そういえば、なんで追撃しないんだろう? そもそも僕はなんでnoteを修正しないんだろう?

それを行うことに対する羞恥心の存在はなんなのだろう?

その原因は、一度発せられた言語によって構成された論理構造に矛盾をきたすことを避けなければならないという感情なのか(そのことを一番よく知っているのは政治家である)。

会話の展開に相応しい場面で、相応しい会話を行うというやりとりに意味があるのであって、言語による意味の交換にはさしたる重要性がないからなのか(そのことを一番よく知っているのはJKである)。

うむ。あまり考えがまとまらない。考えがまとまれば、この記事を修正してみようと思う。修正するというタブーを破りながら、タブーの存在理由を解き明かす。これまた遊び心のあるやり方だ。

まぁたぶん、修正しないんだろうけどね。いつか訪れるその日を夢見ていようか。

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