AI時代を生き残らないためのスキル

アートだとか、考える力だとか、プログラミング思考だとか、データ思考だとか、哲学だとか、課題解決能力だとか、問いを立てる力とか、AIを使いこなす力とか、AI時代を生き残るためにはあれこれ学ばなければならないことは多いらしい。

なるほど。つまり、これらのうち1つでも欠けていれば数年のうちに僕たちは野垂れ死ぬようだ。恐ろしい時代になったものだ。

おそらくこれらのスキルセットを持ち合わせている人なんて、人口1%もいればいい方だろう。つまり99%以上は死ぬ。人類さようなら

21世紀は、テクノロジーが急速に進歩しているらしい。僕にはそうは見えないけど(AIに注がれた労力と、AIが削減した労力、どっちが多いだろうねぇ…)、そういうことになっているらしい。そして、テクノロジーが進歩すればするほど、僕たちは死に近づいているようなのだ。

一体ぜんたい、テクノロジーを発明している人たちは何をしているのだろうか?

決してみんな核爆弾やターミネーターを発明しているわけではない。広告をクリックさせたがるくだらないアルゴリズムを発明する人もいるが、階段を登る車椅子を発明する人や、植物工場の効率的に稼働させるAIシステムを開発する人も少なからずいるはずだ。これらは人間を長生きさせるテクノロジーのような気がするのだが、なぜ僕たちは死に近いているのだろうか?

ふつう、バカでも生きていける世界に向かっていくべきだと思うのだけれど、なぜ逆方向に向かっているのだろうか?

もっと不思議なのは、なぜ誰もこの風潮に反対しないのだろうか?

「考える力がないと生き残れない」とビジネスエリートがTEDトークで話すのを聞いたビジネスマンたちは「俺も勉強しなきゃ…」と息巻く。なぜ「ふざけんな、バカでも生きていける世界を作れ、クソエリートども!」と憤ることはない。

まぁ本当のところを言えば、「生き残れない」っていうのはちょっと大袈裟な表現だ。せいぜい、「マクドナルドでハンバーガーを焼く羽目になるぞ」とか「スーパーの品出しをする羽目になるぞ」的な意味だと考えて問題ないだろう。

そして「生き残る」とはコンサルティングファームでマネージャーをやっているとか、AIベンチャーを上場させるとか、Googleでプログラマーをやっているとか、そういう意味なのだろう。

ここから必然的に読み取れることは、マクドナルドでアルバイトをする中高年は死んでいるも同然という価値観だ。

僕はそういう価値観こそ、生き残って欲しくないと思った。そして、バカでも生きていける世界に住みたいと思った。

だったら、AI時代みたいな、わけのわからないマゾヒズムの巣窟には立ち会わない。ドロップアウトして、生き残るのをやめる。

そのために必要なスキルは? たぶん、特にない。せいぜい「これからの時代は〜」的なエリートの言葉を無視する能力くらいだ。無視して、適当に酒飲んで、適当に公園でも散歩しとけばいいんじゃないの?

人間はなかなか死なない。バカは生きていけないというのなら、もうとっくに人類は滅亡しているさ。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!