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先人について勉強するが、参考にはしない【出版社を作ろう4】

出版業界の流通について学ぼうと思って、この本を読んだ。

業界の構造。流通手法の種類。取次や出版社、書店がそれぞれ抱える問題意識。新しい取り組み。学べることは多かったが、参考になることは少なかった。というのも、僕がやろうとしていることは、業界の常識から見れば頓珍漢なものだろうからだ。

自分で本を書き、自分で校正し、自分でデザインし、自分で営業し、自分で運ぶ。DIYを前提としている以上、全国の流通に載せられるはずもなく、近畿圏の書店に絞って飛び込み営業する計画である。そのため、全国の流通を前提にして、物流コストや資金繰りについて分析されても、あまり参考にならないというのが率直な感想である。

とはいえ、業界のスタンダードを知ることで、自分の計画がいかに型破りなのかも理解できた。そして、型破りなスタイルを成立させるための方法論も頭の中で組み上がってきた。また具体的なところは記事にするが、「本」という商品の卸し方を完全に変えてしまおうと思っている。

(「誰もやっていないということは、わかるか? そんなやり方はうまくいかないのだよ」と賢人を気取る男たちは腕組みしながら鼻で笑うかもしれない。だが、その理屈で言えば僕らの住む街はまだジャングルだっただろう)

ところで、この本を読んでいて痛感したのは、ビジネスにおいて重要なのは徹頭徹尾「」であるという点だ。書店も、出版社も、取次も、金に振り回され、やりたいことができず、保身に走り、煩雑な手続きに惑わされる。上手くやっている書店や出版社として紹介されているのは、サーカスの輪をくぐるように金の問題を攻略している曲芸じみた会社である。本来、僕たちに貢献していることになっている金というシステムが、攻略すべき障害と化していて、そのことを誰も疑問を感じないばかりか、曲芸の出来栄えを品評し合って鼻を高くしているのだ。まっこと腹立たしい限りである。

これから僕も同じように金に振り回されることになる。しかし僕の最終目的はサーカスの輪をくぐることではなく、サーカスの輪を破壊することである。僕の言論は、金というシステムを骨抜きにするベーシックインカムを実現し、究極的には金が博物館送りになる社会を目指す。その気持ちを忘れることなく、僕は曲芸に挑むとしよう。

閑話休題。次にこの本も読んだ。

これまでアマゾンダイレクトパブリッシングで本をDIYしてきた僕だが、ノリと勢いで文章を書き、後から見れば誤字脱字まみれ、レイアウトは崩れ放題ということがあった。流石に商業出版するとなると、ある程度の品質は担保したい。せめて校正を基本だけでも学ぼうと思った次第である。

ところがどっこい、この点に関しても僕は出版業界の考えを鵜呑みにするわけではない。校正は、本の信頼性を高めるためには欠かせないものだが、本来、誤字があったからと言って本の内容の価値が下がるわけではない。「誤字があると本の価値が下がると思う人がいるから、実際に本の価値が下がっているのと同じ」という発想は悪しきメタ迷惑の理論であり、この理論が行きすぎた結果、夏場にスーツを脱げない汗臭いサラリーマンが量産されると僕は考える。

つまり、「あー間違ってたねーごめんねー」くらいの軽いノリであった方がみんなが得するのである。

そもそも、読者はどちらを望むだろうか。些細な誤字脱字をなくすために膨大な手間と金をかけて出版社が倒産するのと、「あーごめんねー」で済ませて出版社が倒産しないのとでは。後者の方が出版スピードも上がるし、本の値段も下がる。

リズムや没入感を重視する小説や詩ならまだしも、実用書で多少の誤字脱字があったところで、別に気にする必要はないのではなかろうか?

どうなんだろう。僕の考えは誠実さに欠けるのだろうか? 僕は社会をナメているソシオパスなのだろうか?

わからない。だが、やりたいことをやるために会社を起こすのなら、自我をとことん貫きたい。業界人に眉を顰められたくらいで信念を曲げるなら、ヘコヘコとサラリーマンをやっているのと同じである。

社会よ。僕を笑うがいい。世間知らずのお坊ちゃんが、イカれた理屈を提げて、現実世界に飛び込んできたのだ。そのまま夢の国で暮らしていた方が幸せだったろうに、ノコノコとやってきたのだ。

世間知らずのお坊ちゃんは、乗り越えるべき逆境を前に努力することと、天に唾を吐く行為を区別できない。しかし構わない。そうだとしても僕は辞めない。天に血反吐を吐くまで続けてやろう。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!