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DIYして最も節約になるのは、たぶん保険

保険会社のビルを見あげたとき。保険会社のCMをみたとき。パリパリのスーツを着込んだ保険のセールスマンをみたとき。そのセールスマンが朝から晩まで営業活動に勤しんでいるとき。保険料を払うのが馬鹿馬鹿しくなるのが一般的な感覚だと思う。「俺たちの保険料で贅沢三昧しやがって‥」と。

それでも、将来への不安を煽り立てられた我々は、保険会社が提供する保険を辞められない。なんなら保険に入っていないことを自白すると、ドン引きされるような始末だ。「社会人なら保険に入るのが当たり前」という感覚は、年配の人ほど強い気がする。

しかし、果たして僕たちは本当に保険会社の保険に入るべきなのだろうか。そもそも保険は、自分が病気したり死んだりすることに賭けるギャンブルとして期待値をみたときには確実にマイナスだ。保険会社がビルを建ててCMを流してセールスマンを雇っているのだから。還元率がどれくらいかはわからないし、保険会社の資産運用益がどれくらいかもしらないが、まぁ営利事業をやっている以上、マイナスだろう。

だったらDIYすればいいんじゃないか? と僕はずっと考えている。

自分1人で積み立てる、という意味ではない。それでは、保険の数少ないメリットである「リスクの分散」が実現できないからだ。

ならどうするか? 簡単である。信頼できる友達を何人か集めてくるのである。学生時代の友達ならなお良い。年齢が同じなら、病気のリスクもほぼ同じだからだ。

例えば4人集まったとしよう。保険会社の保険に加入する人と比べればかなり少なく、統計的にかなり危うい数値ではある。とはいえ、4人が4人全員デカい病気にかかるとは思えない。1人か2人程度だろう。ならばリスクの分散という意味では十分な品質を保てる。

そんな話を友達にしたら却下された。理由はこうだ。

「友達が病気になったとき心配できなくなるやん」

なるほど一理ある。「家族が病気になったらお金かかるけどちゃんと心配するやん」とか「逆に何も助けられない方が苦しくない?」とか色々と感じることもあったが、こういう不安も汲み取ることは大切だ。

と思って、保険商品の仕組みを工夫した。保険会社に搾取されることなく、友達の病気を心配できるような仕組み。

それは以下の通りだ。

  1. 友達4人で毎月一定額を積み立てる。

  2. そのお金は65歳か70歳か、みんなが定年退職する頃に盛大な海外旅行にいくための積立金である。

  3. ただし、病気になったときの医療費はその積立金から引き出す。

  4. 医療費の引き出す際は、病院に行ったときの領収書を写真に撮って送るだけでいい。どの病気なら請求して、どの病気なら請求しないのかは、個人の判断に委ねる。

色々とツッコミを入れたくなった人もいるだろうから、1つずつ解説していこう。

まず、お金の管理をどうするかだ。個別の口座で管理するのか、共通の口座を作るのか。共通なら名義はどうするのか。これに関してはまだ考えていないが、「なんとでもなるやん」という感覚だ。

また、積み立て方式ならインフレにはどう対処するのかも考えなければならない。全額投資に回せるならそれが良いのだが、そうなると名義管理がめんどくさいし、投資先も考えなければならない。1つ、なんらかの投資会社を4人で建ててやるのもいいかなぁと思っている。積立方式をやめ、その都度病気になった人にお金を送る方式なら、インフレ対策はいらないのだが、それだと「心配できない」という不安が解消されない。まぁインフレのことは考慮しないで、貯金するだけでも良いかもしれない。ケースバイケースで。

65歳か70歳で使い切ってしまうことに対する懸念もあるだろう。だが、これはかなり合理的な判断だと思っている。なぜなら、その歳になれば金を余らせている人がほとんどだからである。もちろん人によるが大抵の場合は子どもの学費も、住宅ローンも終わりに近づき、場合によっては親からの相続も入ってくる頃だ。それでいて若い頃のように飲み歩くわけでもない。だからパーっと使いきれば良い。あとはどうせ死ぬのだから野となれ山となれである。

それに、旅行費用として貯めているならば、できるだけそれを使いたくないという心理になる。自分が病気になってしまえば、半年間のクルーズ旅行が日帰りの温泉旅行になってしまう可能性もある。そう考えれば、健康でいることへのインセンティブができる。

保険請求のやり方が適当なことが心配になる人もいるだろう。だがこれはデメリットではなくメリットに他ならない。保険会社のわけのわからないルールが官僚制と複雑怪奇なITシステムを生み、莫大な経費を浪費しているが、そんなものは信頼できる友達同士なら不要だ。フリーライダーなど出てくるはずもない。そんなやつなら、そもそもはじめから仲間に入れないだろうからだ。

とまぁ、全体として信頼で成り立っている。保険会社の保険が不信頼と官僚制で成り立っているのとは対照的だ。

ここでふと疑問に思う人もいるだろう。そんなややこしいことをするなら普通に保険に入れば良いやん、と。

それは「ウーバーイーツで良いじゃない?」と同じ意味の言葉である。いやむしろ、ウーバーイーツよりも酷い。

飲食店とはまだスケールメリットが働くビジネスであり、DIYではなくプロに頼るメリットはある。だが、保険とはスケールメリットが働かないビジネスであり、明らかにDIYの方に軍配が上がる。

例えばラーメン1杯を作る費用が300円だとしよう。ラーメン10杯を同時に作った場合、その費用は3000円にはならず、一括仕入れや一括調理によってもう少し安くなる。これがスケールメリットだ。

一方で保険となると話は別だ。仮に1人あたりにかかる医療費の期待値が月300円だったとして、それが10人集まれば3000円である。1人だろうが、1億人だろうが、1人あたり300円なのだ。

なるほど統計的にリスクが分散されるというメリットもあるが、それは4人程度でも十分回避できる問題だ。また、莫大な金を投資に回したときの利益もあるかもしれないが、ビルやCM、人件費を補って余りあるほどのメリットであるとは思えない。ならば4人の金で投資した方が効率的だろう。

ここまで書いてきて僕が言いたいことがわかっただろうか。保険とは社会悪なのである。

そもそも「大人なら保険に入っとけ!」という保険会社が生み出した風潮さえなければ、大人が病気になれば「保険に入らないやつが悪いねん」などと言われることなく知り合いが助けてくれていたはずだ。その方が明らかに社会全体としてメリットが大きいことは、スケールメリットの話で明らかだろう。

金の話だけではない。困ったら助けてくれる。困っていたら助ける。そうした方が何事においても効率はいい。にもかかわらず、保険は自己責任論を押し付けて個人の分断を進めるツールになっている。うん、社会悪だ。

だが保険に入るという常識を植え付けられた僕たちは簡単にそれを疑うことはできない。

結局この話もあれこれ話し合った後に立ち消えになって、本当のところを言えば実現していない。

誰かに実験してもらえないだろうか? 僕は友達が少ないので簡単に誘う人がいないのである。

誰か? 誰か? 助けてください。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!