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AN(アフターナウシカ)の今、あえて『風の谷のナウシカ』を観る

古き良きジブリ作品を観ることにハマっている僕。今回は、金曜ロードショーで見かけるけどあまり記憶に残っていないことでお馴染みのナウシカを観た。まじまじと観たのは初めてだ。

「意外と奥行きのないだなぁ…」というのが率直な感想だ。自然を支配しようとする西洋近代的な人々と、自然と、自然と調和しようとする主人公サイドのトライアングルというありがちなパターンにしか見えなかった。

今ならSDGsとかコロナとかそう言うキーワードと織り交ぜながら「宮崎駿はナウシカでコロナを予言していた!」みたいなことを言えばインテリっぽく見えるのかもしれない。この展開まで含めて「ありがち」だね。

もっとも、これが「ありがち」になったのはAN(ナウシカ以降)であって、BN(ナウシカ以前)に生きる人間にとっては、新鮮なストーリーだと感じるのかもしれない。だが、名作とはどんな時代でも名作だから名作なわけで、そういう意味で言えば、『風の谷のナウシカ』は時の洗礼に耐えられない作品だったのかもしれない(設定は『進撃の巨人』で、イントロは『ゼルダの伝説』で、ストーリーは『もののけ姫』で、オチは『ミュウツーの逆襲』で…という風に見えてしまうよ、ほんと)。

人間の干渉によってバランスを欠いた自然から生まれた腐海やオームは、グロテスクだけれども、それでも自然を象徴している。僕たちは「自然」と言えばタンポポやアゲハチョウに満ちたのどかな草原をイメージするけど、人間によって調和を乱されたグロテスクな自然においても、自然は完全に死ぬことはない。道端の生垣の根元を観察すればわかる。人間の都合で歪に切り取られた椿の下で、イネ科にマメ科にシソ科に…雑草たちの生物多様性が見事に展開され、フカフカの土壌が勝手に育っていたりする。イナゴの群れはいつか自然によって佃煮にされてしまい、うまく均衡状態へ持っていかれるのだね。

腐海で起きていることは、まさにそのような事態だった(微ネタバレ)。

…とまぁここまでの話は「まぁ、そりゃあそうだよね」というメッセージとしか感じられなかった。やめようか、何でもかんでも社会批判として捉えるのは。

単純に冒険活劇としてみれば楽しい話だった。前半は多動力ガール、ナウシカばかりが活躍していて単調なヒーロー物だなぁと思っていたけれど、後半になっていくにつれて脇を固めるキャラたちがいい味を出し始めて、それでも最後にはナウシカがいいところを持っていくというちょうどいいバランスだ。

ナウシカのキャラも立っていてグッドだ。どんな困難でも「胸がドキドキする」で表現する絶妙なワードセンスは、乙女っぽさと勇者っぽさが心地よく混ざっていて、嫌味がない。

クシャナも嫌われ役に徹していて、いい薬味だ。敵キャラは観ていてイライラするくらいがちょうどいい。ユパ様も無能すぎず、有能すぎず、程よい活躍をしてくれた。

どうも漫画版を読まなければ、ナウシカファンからはにわか認定されるらしい。機会があったら読んでみようと思う(多分読まんわコレ)。


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