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東京遠征後編 両国で出版記念パーティ【出版社をつくろう】

さて、前日は新宿ゲリラ配布会をやったわけだが、一晩明けて出版記念パーティである。

本をすでに手に取ってくれた人。本を買いたい人。とにかく騒ぎに来た人。なんでもいいが、とにかく人に会おうと思ったのだ。大阪でもやったわけだが、東京の方が明らかに来てくれそうな人が多かったので、東京まで足を運んだ。

当日はあいにくの小雨だ。大阪でも淀川の河川敷でやった結果、参加者全員を雨でびしょぬれにさせてしまうという失態を犯した。「労働撲滅」と言っているやつは失敗からしかなに一つ学べないわけだが、逆に言えば失敗からは学べる。今回は、隅田川沿いの両国あたり、高速道路が雨除けになってくれる謎エリアにレジャーシートを敷いて開催することにした。

お、雨にも濡れないしいいじゃん、いいじゃん」とか言いながら、レジャーシートを挽く。大阪のときと違って今回は十人くらいは参加を表明してくれていたので、開始時刻前後で続々と人がやってきた。

ところがしばらくしてすぐに気づく。電車の音がうるさい。

ニ、三分に一回ほど、真上を電車が通り、会話が強制的に中断されるのである。休日のラグビー部の集会であったなら、騒音をはねのける声量で会話を継続できたかもしれない。だが僕たちは社会から爪はじきにされた無職や、「働きたくない」と言いながら哲学的思索にふけるような人間の集いである。要するに無音空間ですら何をしゃべっているのかよくわからないと言われるタイプの人間が集っているのだ。当然これじゃまともに会話することもままならない。

まったく、「労働撲滅」とか言ってるやつは失敗を一つ予防したと思ったら、また別の失敗をするのである。

どうしたものか・・・仕方なく適当に近くのエリアをぶらつき、ちょうどいいエリアを探す。幸いにして、電車の音も気にならず、雨が降ってもなんとかなりそうで、通行人からの白い目線もさほど気にならないエリアを発見。

はじめからもう少し探せばよかった説。
移動してくる謎の集団。遠くからパシャリ。

さて、移動してからはすっかり会話も好調である。

「みどりの窓口は機械化されるか問題」や「AIは労働を代替しない問題」「無職、自己紹介しづらい問題」などなどいろんな話をした。

続々と人も増えていくにつれて、三四人ぐらいのグループに分かれていき、それぞれで何やら話をする。結果、合計で二十人くらいは来てくれたんじゃないかと思う(たぶんね)。

いろんな人が来てくれた。働きたくない会社員。働きたくない学生。無職歴10年超のベテラン選手。生活保護歴15年の無職界隈の生き字引。パチンコと投資でマイルドFIREを実現するニート。イギリスからやってきたアンチワークの伝道師。垢バンが日常茶飯事の炎上系YouTuber集団。あったことのある人。はじめましての人。noteやXでつながってる人。Discordにいる人。さまざまである。

トイレ休憩中の人も帰った人もいたので、全員ではないがとりあえず記念撮影。

こういう人たちが集える場は、あまり多くないらしい。無職はそもそも人と出会う機会が少なくなるうえ、自信満々に自己紹介もできない。それに「働きたくない」的な会話をできる相手も(冗談半分ならサラリーマン同士でもできるが、ガチなトーンでなら)ほとんどいない。

無職が自信満々に自己紹介して、生活保護受給者が「どうやったらとれるのか教えてください!」とヒーロー扱いされるのは、きっと労働撲滅界隈くらいしかないんじゃないだろうか。

かといって決して労働者や資本家を攻撃しているわけでもない。あくまでアンチワーク哲学は労働を攻撃しているのである。この社会では、労働者や資本家すらおそらく極上の幸福を味わっているわけではないし、彼らとて悪意をもっているわけでもない。つまり攻撃すべきなのは人間ではなく、システムであり、労働なのだ。

この日来てくれていた陽キャ哲学普及協会ことぱくもとくんは著書で次のように指摘していた。

我々がフランス現代思想書をいくら読んでも『革命』を起こせないのは、戦うべき権力や既得権益が我々自身の中に存在するからである。

インターネットで『特権階級は誰だ?』と問えば、出てくる答えは、老人かもしれないし、男性かもしれない、女性であるかもしれないし、高学歴かもしれないし、裕福な親を持つ者かもしれない、日本人かもしれないし、韓国人かもしれない、バブル世代かもしれないし、 Z世代かもしれない。団結して妥当すべき革命の対象は存在せず、個人それぞれに仮想敵が存在するだけである。

—『超 陽キャ哲学』ぱくもと著https://a.co/7ks6cn3

鋭い指摘だと言わざるを得ない。人は自らの利益は「当然の権利」とか「正当な対価」と評価し、誰かの利益は「既得権益だ!」と批判する傾向にある。その結果、不正に利益をむさぼり酒池肉林を満喫する絵に描いたような仮想敵(誰もが納得する仮想敵)が不在なのだ。「お前らは既得権益だー」「いやいやあいつらが!」「自己責任だ!」と、レスバトルが終わらないのはそういう一因もあると言える。

では「いやいや構造が悪いよね」とか「みんなそれなりに大変なのよね」といった退屈で分かりにくい議論に万人を納得させるべきなのだろうか? それが理想的だとはいえ、人は特定の人物が悪を引き起こしているというシンプルな構造によって、世界を理解する傾向にある。

だからこそ、アンチワークマンと労働マンが必要だったのだ。

アンチワークマンは、アンチワーク哲学の小難しい理論を「労働」という悪を体現するキャラクターをぶん殴って世界が平和になるというシンプルな構造に置き換えつつ、そのエッセンスを損なわない絶妙なバランス感覚のもとで描かれている。これが黒幕なき社会で必要とされる物語なのだろう。

さて、話が逸れてしまったが、そんなこんなで資本家の悪事を暴き立てるような集会ではなく、和気あいあいとした会合になった。

そして、帰りたくなった人はしれっと帰っていく。夕方五時頃にやんわりと解散した。

帰る前にサインを要求された。サインの書き方を練習しなきゃな。

正直これだけの人数がいたので、ほとんど話せなかった人もいる。もっと話したかったのにな、という想いはないでもない。しかし帰りの新幹線の時間も迫っていて、第二ラウンドを開催する余裕はなかった。この二日間の出来事を噛み締めながら僕は帰路に就いた。

これだけの人が集まってくれるのは、すごいことのような気がする。このエネルギーは、なにか大きな爆発を起こせるような気もする。

だが、なにができるのか、ぶっちゃけよくわからない。こうやって集まってシートに座って酒を飲むだけでは、別になにも世界は変わらないのだ。昨日も本を配っただけである。誰が受け取ってくれたのかもよくわからないし、読んでくれるかもわからない。読んでくれたからと言って響くとも限らない。

とはいえ虚しさを感じるわけではない。僕が労働の撲滅を目指す理由は二つある。一つは労働が撲滅されるところをみたいからだ。もう一つはやりたいことをやりたいからだ。要するに、結果とプロセスの両方が僕にとっての目的なのである。

労働の撲滅などという誰も成し遂げられなかったプロジェクトなのである。なにが正解かなんてわかりっこないのだ。だから別に「もっと効率的にアプローチしなければ・・・」とか「こんなことをやっても意味ないのでは・・・」みたいな焦りは僕にはない。楽しければいいのだ。

でっかいことをしたい。それは間違いない。でもそのためには草の根が必要だろうし、草の根は楽しい。

まぁボチボチやっていこう。なにはともあれ、この二日来てくれた人たちありがとう! たまにはこういうことやろうぜ。そして、感想はぜひ書いて欲しい(と思ったら、これを書いてる最中にゆるふわ無職くんが書いてくれてた。これから読みに行くぜ)。

ではまた会おう。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!