東京遠征前編 新宿で本を配る謎の男たち【出版社をつくろう】
もちろん、こんな会話はしていない。なんといっても僕は常識をわきまえた大人なのである。実際の会話はこうだ。
やんわりぼやかせば深追いはされず、手続きは淡々と進む。これが官僚制の魅力の一つだろう。官僚制の歯車たちにとって形式が整っていること以上に重要なファクターなどなにもなく、逆に整ってさえいれば細かいことは気にしないのだ。大阪に住む僕は窓口への提出がむずかしかったので、別の方にお願いして行ってもらった。そこでも「え? 本配るってどういうことwww」と、ひな壇芸人のようなリアクションに出会うことはなかったらしい。ひとまず安心である。
そんなこんなで『14歳からのアンチワーク哲学』をゲリラ配布する行為が国家権力より承認されることとなった。目的は、就職博帰りの学生にアンチワーク哲学を普及させることである。
この時期の就活生はおそらく就活という名の茶番に嫌気がさしているか、そもそも就活という営みにはじめから乗り気ではないかのどちらかである。いずれにせよ、労働に対するなんらかの嫌悪や恐怖を抱いているか、抱きつつあることはほぼ間違いない。つまり、彼らはアンチワーク哲学という名のコペルニクス的転回を受け入れる可能性が高いと考えたのだ。
あと、単純に「本を配られたときに人がどんな反応を示すのかを知りたい」という純粋な知的好奇心の追求でもあった。仮に自分が歩いていて本を配られたのだとして、自分がどんな風に反応するか、まったく想像がつかなかった。人はふつう、習慣化したしたメソッドという手札を切っているだけで、日常生活の大半を滞りなく過ごすことができる。しかし、対応できる手札を持ち合わせていない場面に遭遇したとき、人は剥き出しになった自らの実存に直面せざるを得ない。そこから現れ出る行動に宿る魂の煌めきを僕は見てみたかった。
まぁ要するに「やってみたくなったから、やる」という話である。
とはいえ一人では心許ないし、祭り感がない。そこでDiscordで、「本のゲリラ配布会に参加したい人いますか?」と聞いた。
とはいえ、さほど期待していたわけではない。ティッシュ配りのバイトよりもあきらかにハードで、白い目で見られる可能性も高い。邪険に扱われることだってあるだろう。労働撲滅界隈の人たちが、そんなハードな祭りに続々参加してくれるとは考えにくく「せいぜい一人か二人程度だろう」と思っていた。
ところがどっこい、四人の男たち(いな漢たち)が名乗り出てくれたのである。
彼ら四人が、戦場へ赴く戦士たちである。自らの意志で自らを戦場に投入する人間ほど頼もしい存在はいない。僕は勝利を確信した。
【PLAN】
さて、計画はシンプルである。
就職博は十時半から始まり十七時に終わる。アンチワーク哲学を求める学生がオープン早々乗り込むような意識の高い行動パターンを取るとは考えづらい。せいぜい昼過ぎか、終了時間ギリギリに駆け込むであろうことが予想される。そこで配布時間は十四時から十七時に決定。そして、使用許可をとっているビルの出口側の道路で張って、イベントから出てきたスーツ姿の学生に声をかけて本を配る。ただそれだけである。
四十〜五十冊配布を目標に、トータルで八十冊準備。事前に三色団子さんの家に四十冊郵送し、残りの四十冊は僕が大阪から人力で運ぶことにした。
集合時間の少し前に三色だんごさんと合流し、コメダ珈琲に入る。その後、続々とメンバーが集まり、十三時半には全員が集合した。
はじめましてのメンバーもいたので、自己紹介を交えながら和気あいあいと雑談をするのだが、笑い声の中にも一抹の緊張感が宿っているのは明らかだった。僕たちは、十四時になれば本を配りに行く運命にある。なんせ誰もやったことのないことを、いまからやるのだ。「ほんまにやれんのか?」という恐怖は、ずっともやのように漂っていたのだ。
それでも無情にも時間は近づいてくる。やるしかない。そのために僕は大阪からわざわざ来たのだ。
【DO】
とりあえず紙袋に十冊ほど詰めて、会場前の道路にスタンバイしようとした刹那、僕たちはそこに存在していた異常に気付かずにはいられなかった。いや、存在しないという異常と言うべきだろうか。
そう。就活生の姿がほとんど見られないのである。
道路を通り過ぎるのは、家族連れ。観光バスに乗り込もうとする外国人。たまたま通りがかったお年寄り。スマホ片手にポケモンGOをやりにきたゲーマー。想定していたターゲットとは似ても似つかない人々である。
「もはやイベントやっていないんじゃないか?」
一応ビル内のイベント会場をチェックしに行く。ちゃんとやっているし、それなりに学生もいる。どうやら、まだイベントは盛況のさなかにあり、帰路に就く学生が少ないのかもしれない。また、ビルの出入口は複数にまたがっており、分散してして待っている側面もあっただろう。
とはいえ、いまさら後には引けないのである。こうなってしまった以上、もう学生にこだわらなくてもいいかもしれない。そう思って僕たちは、普通に遊びに来ている若者なんかにも声をかけることに決めた。
行動あるのみである。ティッシュ配りのバイトなんてやったこともなかったが、街中で見かける彼らのやり口をまねて、僕は近くを歩いていた若い男性に声をかけてみた。
紙袋を持って、視線を通行人に向け、本に手を添えながら、1、2メートルあたりの距離のところで声をかける。
まぁそんなこともあるだろう。次は通行人の若い女性である。
僕は気づく。これはアカンやつや。
【CHECK】
考えよう。なぜ人は街中で声をかけてくる男を無視するのだろうか?
ヤキソバライターさんは教えてくれた。「新宿で声をかけてくる人にいちいち反応してたら、目的地につけないんですよ」と。なるほど、たしかにこのコンクリートジャングル新宿では、居酒屋、風俗、宗教、マルチ、投資マンション、保険など、財布の穴をこじ開けようと猛獣のように目をぎらつかせた大人たちがそこら中に潜んでいる。そこで生き抜くための護身術として、「声をかけられたら、とりあえず無視する」という行動パターンを人々は身に着けているのだろう。
しかし、それでも、僕たちが配っているのは本である。ここに突破口がありそうだ。僕が本を配ろうとして足早に去っていったとある女性は、立ち去った後に、二度見するように僕の方をちらちらと振り返った。彼女の心理を代弁すると「いえ、けっこうですから・・・・・ん? え? 本? 無料? どういうこと???」といったところだろう。
つまり、興味を持たせるポテンシャルはあるのだ。では、どうすればいいのか? 僕は多数の失敗と成功を繰り返す中で、独自の本配りメソッドを構築していった。
メソッド1 業者ではないフリをして待ち構える
道を歩いているときに、前方に紙袋やかごを持って待ち構えている人がいれば、「あ、業者だ・・・」と人は警戒し、歩行スピードを上げるだろう。だから僕は本と、本を入れた紙袋を、ターゲットの視界に入らないように背中側に持ってスタンバイすることにした。そして、ターゲットがこちらの領域に足を踏み入れるまでは視線を揺らしながら、さも「待ち合わせをしているだけですよー」といった空気を醸し出すことにした。こうすることで、声をかける直前まで警戒心を抱かせずに済むのだ。
メソッド2 第一声は「すいませーん」
街中で「こんにちは」と声をかけてくる男がいれば、間違いなく業者かナンパである。部活のように元気に発声しているなら、その確率は百パーセントと言っていい(元気な挨拶が怪しさの証拠になるとは皮肉である)。
では逆に、業者でもナンパでもない人は、どんなふうに声をかけるのか? たとえば道に迷った人。落としたハンカチを渡してくれる人。新幹線のシートを倒していいか後ろの人に確認する人は、なんと言うだろうか?
そう。「すいませーん」である。
「すいませーん」と声をかけられたときに、「無視しよう」と即断できる人間は多くない。必ずそこに迷いが生じる。そして、相手はなんの要件でこちらに話しかけているのかを確認して、真相を知りたいという欲求が生じる。こうして、迷いのドアの隙間から光が差し込むのだ。
メソッド3 迷いのバッファをつくる
とは言っても「すいません」をかけるタイミングは、自分の前を通り過ぎる直前ではいけない。もし直前で話しかけてしまったなら相手は立ち止まるか、無視するのかの決断を瞬時に下す必要が生じる。そして、瞬時に下す決断とはたいていが普段通りの行動・・・すなわち無視である。だからこそ、声かけは必ず5メートル前から行おう。
5メートル前で相手の進行方向に立ち「すいません」をかける。そこまで業者ではないふりをしていた僕に声をかけられることを相手は想定していない。そのため、相手はこちらに視線をやらざるを得なくなる。するとそこから僕は迷いのドアをこじ開ける。
このとき大切なのはこちらに向けさせた視線を逃がさないことである。そのタイミングで本の表紙を見せつければ、相手の視線は本の表紙に向かわざるを得ない。そして相手は5メートルを歩く数秒の間、本の表紙をまじまじと観察する。すると「ちゃんとした本だ・・・どういうことだ?」という疑問をどんどん高ぶらせていくのだ。
声をかけて5メートル追いかけたなら、人は逃げようとするだろう。だが、5メートル前から声をかけたなら、自らの進行方向に進みたいという欲求と、僕の話を聞きたくなってしまうという欲求が重なり合うのだ。同じ5メートルでも、前と後ではこうも違うのである。
【ACT】
さて、5メートル歩く数秒のあいだ視線を向けて、話を聞いた相手をいまさら無視して通り過ぎることは、普通の人間にとってはむずかしい。進行方向を急転回して、あからさまな無視をすることは、人間にとっては大きな苦痛なのである(だからこそ人はさも「聞こえてませんよー」とでも言うように、目を初めから合わせることなく自然なカーブを描きながら業者を避けていくのである)。しかも、真相不明の活動をやっている相手なら特に無視するのはむずかしいだろう。僕はここまでのメソッドを完全に実践したパターンで無視されたパターンはほとんどなかった。
そして、話を聞いてくれた相手は百パーセント本を持って帰ってくれた。
立ち止まった後は、僕はこんな風に話を続ける。
もちろん僕は相手に興味があると確信して「興味がある方に」と伝えるのである。
いける。
そう思った僕は、意識的にもう少し踏み込んで話をしてみるようにした。
やはり狙いは間違っていなかったのである。
あるいはこんな会話もあった。
出版不況だの、若者の読書離れだの言われている中ではあるが、いるところにはいるのである。逆に「本は読みません」と言われるケースはほとんどなかった(もしかすると、就活に取り組む時期と、読書率は相関がありそうな気もする。本なんか読まずに「ウェイ」している学生の方が、サクサク就活を終えていく傾向にありそうだ)。
そして、中には嬉しい反応もあったのである。「え? 嬉しい! 欲しい!」「労働・・・めっちゃ興味あります」「おもしろそう」「読んだらレビュー書きますね」などなど。
メソッドを確立していくうちに、徐々に就職博帰りの学生が増えてきた。僕は就職博帰りの学生に完全にターゲットを絞って配り始める。彼らの興味関心が重なっていることと、メソッドが洗練されてきたことが相まって、配布成功率はかなり高まっていく。
いや、これ楽しいわ。
さて、ほかの四人とも交代しながらやってもらったわけだが、そのスタイルはさまざまであった。淡々とこなす人。だんだんハイになって楽しくなってきた人。心が折れた人。
これはまさしくアンチワーク哲学によって分析しがいのある状況にある。僕は自らの創意工夫によって成功確率を高めていくプロセス(アンチワーク哲学的に言えば「力への意志」を発揮している状況)を楽しんでいた。これがアンチワーク哲学で言えば、労働(とされるような行為)が余暇に変わる瞬間である。一方で、一定程度心をマシーン化し、断られようが粛々とこなしていくことにモチベーションを見出してくれるタイプの人もいた(なんなら、「そろそろ終わりましょうか」と言うと「あと十分だけ」と言ってくれるのである)。彼は一定程度のコミットをすることに自らの誇りを持っているように見える。労働が撲滅された世界であっても、このような気質でなにかに取り組む人は残るだろう。そして、心が折れて休憩する人もいて然るべきなのである。強制ではないのなら、どれだけやってもいいし、いつやめてもいいのだ。
そんなこんなで、トータルで四十冊ほどは配っただろうか。
夕方五時を過ぎて僕たちは会場を後にし、チェーンの居酒屋へと消えていった。
配った四十冊を手に取った人がどんな反応をするのかはわからない。本棚で埃をかぶるかもしれないし、ブックオフやメルカリに流れ着くかもしれない。ひょっとすると、レビューを書いてくれたり、拡散してくれたり、自らの中でコペルニクス的転回を起こし労働なき世界の実現を志すかもしれない(もし当日受け取った人の中で、これを読んでいる人がいればなにかコメントしてくれー)。
まぁ別に反応がなくたっていい。ともかくいろんな収穫があった。僕以外のメンバーがどれだけ楽しんでくれたかはわからないが、少なくとも僕は楽しかった。ありがとう。また大阪でもやろうかな。
1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!