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教育格差を放置してみよう

「教育格差を無くすべきである」という主張に同意していることは、常識人として理想的な態度であるように思われる。しかし僕は「教育格差を無くすべきである」という主張にこそ問題があると思っている。

「教育格差を無くすべき」と主張する人は、要するに「誰しも努力さえすれば、年収1000万円かそこらのコンサルタントやデータサイエンティスト、マーケッターになれるような教育機会を提供すべきである」ということを言っているわけだ。

この主張を裏返せば、次のようなものになる。「教育機会が与えられたにもかかわらず努力しなかったならば、コンビニバイトや土木作業員、夜勤の介護士といった低賃金の仕事に就いても仕方がない」と。彼らは努力をしなかったのだから、その過去を悔やみながら、歯を食いしばって低賃金の重労働で糊口をしのいでいればいい、というわけだ。

これは明らかに職業差別的な態度である。次のような善意に満ち溢れたサイトですら、その態度を隠そうとしていない。

基礎的な教養を学ぶことのできなかった子どもたちは、就職できる職種や業種が限定されてしまい、将来的には低収入の仕事に就かざるを得なくなります。

「低収入の仕事」とは「就かざるを得ないもの」らしい。言い逃れできないレベルで、低収入の仕事を、忌むべきもの、避けるべきもの、可哀相なものとして見下しているのだ。しかも、なんの悪意もなく、あたかも当然のことであるかのように。

僕はあえて主張したい。教育格差が問題なのではなく、職業格差が問題なのだ。

仮にコンビニバイトや土木作業員でも、コンサルタントやデータサイエンティストと同じだけの収入を得られるとするならば、教育格差を問題視する必要があるだろうか?

別に微分積分がわからなくても、熱力学第二法則を知らなくても、構わないのではないだろうか?

もちろん、いろんな反論が想定される。例えば、そんな社会なら誰も努力しなくなるといったものだ。たしかに努力しなくなる人もいるだろう。だがその人物の努力は結局のところ自分の元に金を集めてくる努力であって、誰かに貢献するような努力ではない可能性が高い。ならば、そんな努力はしない方がいい。

職業格差が解消されたならば、仮に土木作業員の息子が一念発起し、分子生物学の道に進みたいと思ったとしても、親は図鑑に、顕微鏡に、大学の学費まで、あらゆる機会を提供することができるだろう。つまり、職業格差が解消されれば、教育格差は消滅する。

仮に職業格差が解消されないまま、教育格差が完全に解消されたとしよう。そのとき、スラム街に燻っていたダイヤモンドのような少年がロボット工学を学び、ロボット開発者として活躍するかもしれない。それでも、ごみ収集人やフォークリフト作業員、畜産農家の仕事を完全に自動化することはほぼあり得ない。つまり、誰かが低収入の仕事というババを引くことになるのだ。

今までは大卒なら低収入の仕事を免れられていたかもしれない。だが、教育格差が解消されて、中卒の土木作業員の息子が大学に入学するようになったら? 次は院卒でなければ低収入の仕事に就かざるを得ない社会が到来するだろう。その先は? 想像したくもない。

努力しなかった人が見下されるのは当然という社会は息苦しい。努力しないでいい方向に社会が向かうことを進歩と呼ぶのが普通だと思うのだが、どうにも僕たちは努力を強いられがちである。

無意味に努力を強いる奴隷道徳と、「お金を稼いでいるということは社会に貢献している」という実力主義のフィクション、これらがドロドロに煮詰まった結果、「教育格差を無くすべき」といった頓珍漢な主張が生まれる。

前提が間違っている。大卒が増えても社会は豊かにならなかったし、経済成長もしなかった。大卒が増えるということは、社会が貧しくなっているとすら言える。受験戦争は椅子取りゲームであり、どれだけリソースを割いたところで全体のパイが増えないゼロサムゲームなのに、みんなが夢中になっている。それは社会にとって悪いことなのだ。

もちろん、大学で化学を学び、リチウムイオン電池を発明するなどして、全体のパイを増やす人もいるだろう。しかし、あくまでそれは例外に過ぎない。21世紀の社会にほとんどイノベーションが起きていないことを見るに、大卒者数とイノベーションは比例しないことは明らかだ。

読み書き算盤レベルの教育の必要性は疑いようがなく、そこに機会均等は必要だと感じるものの、高度教育なんて趣味でいい。富を得るために大学に行くより、変態的に虫が好きな奴とかが行けばいい。そういう奴が進化論を思いついたりするのだと思う。

とはいえ、僕自身も息子の教育について考えると、「少しでも良い教育を」という親心が芽生えてくる。だが、高収入を得るための教育ではなく、心から関心を持てる領域を学ぶための教育がいい。そういう気持ちなら、格差のことなんて気にしなくても良いかもね。

格差のことは気にするのはやめよう。問題はもっと他にある様。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!