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仕事の大半は、経済活動ではなく政治活動

経済活動を何か物を作ったり、人や物の世話をしたりすること(または、それらの営みをサポートすること)だと仮定すれば、僕たちが経済活動と呼ぶものの大半は政治活動であることに気づいた。今日はそんなことを語っていきたい。

では政治活動とはなにか? それは自分たち(や特定の誰か)の都合良い富の配分を実現するための営みだと、僕は定義する。

例えば、飲料メーカーAが自分たちの商品をスーパーに並べて欲しいと営業活動を行うとしよう。それが成功したとき、そのスーパーが別の飲料メーカーBに支払っている仕入れ費用は、メーカーAへと移動する。これは僕の定義上は政治活動だ。

また、メーカーAが莫大な広告キャンペーンを展開し、メーカーBからカスタマーを奪い去ったとしよう。これも僕の定義上は政治活動だ。

もちろん、政治活動をきっかけに経済活動はスタートする。メーカーAは増産体制を敷き、お茶やオレンジジュースを生産する。しかし、政治活動自体は経済活動とは区別される。

経済活動に携わる人よりも、政治活動に携わる人の方が、高い収入を得ている傾向にある。広告代理店のコピーライターやメーカーの営業担当は、製造ラインでせっせと働くオペレーターやオレンジ農家の倍以上の収入を得るのが普通だ。

しかし、事実上、政治活動である営みも十把一絡げに「経済活動」とか「仕事」と称してしまうことによって、あたかも政治活動がなんらかの生産やケアを行っているかのように錯覚してしまう。これが今の社会で起きている現象だと思う。

言葉って、恐ろしい。

もちろん、政治活動をなんらかの生産性と結びつけて考えることは可能だ。しかし、あくまでそれはこじつけに過ぎない。天皇陛下すら、人々の意欲を沸き立てて、生産に貢献しているとみなすことができるのだから、もはやなんでもありである。

自分の活動が利益を得るための政治活動に過ぎないことを理解すれば、ブルシットジョブにまつわる議論も少しは整理されるのではないだろうか。

正しい言葉遣いを。思考は言葉に制限されているのだから、言葉が持っている前提を大切にしなければならない。

これこらは経済活動と政治活動を分けて考えてみて欲しい。いかに世界が政治活動で溢れているかがわかるからね。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!