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『すずめの戸締まり』をネタバレ全開でディスり、褒めるnote

新開誠がレストランを経営していたとすれば、彼が「新メニュー登場!」と騒ぎ立てたところで、これまでと似たような料理であることがオチだ。『秒速5センチメートル』みたいな変わり種あっさり系メニューもあるが、最近の新メニューはファンタジー要素でコテコテに味付けされたセカイ系ばかり。「ご一緒にRADWIMPSはいかがでしょうか?」じゃねぇよ。

正直、胃もたれ。それが観終わった後の第一印象だ。

「胃もたれ」に引っ張られて僕の内部から芋づる式「飛びでできた感想は、否定的なものばかりだった。

「松村北斗は声優向いていないから、ララリラでも歌ってろ、お前はハウルになれねぇよ」とか。

「ジブリネタ散りばめられすぎてストーリー入ってこねぇよ、ウォーリーを探せかよ」とか。

「お前いつも天気予報観ながら朝飯食ってんなぁ」とか。

「神木隆之介お前かよ。瀧くん登場しねぇのかよ」とか。

「工事中の山道あるあるみたいな、どうでもいいあるあるネタぶっ込みすぎやろ」とか。

まぁそんな感じ。

だが、観終わった後にあれこれ振り返っているうちに、作品の評価が変わっていくことはよくある。

たしかに、ストーリーはあくまで新開誠メソッドそのままでしかない。だが、ストーリー展開は世界で36種類か31種類かそこらしか発明されていないとかなんとか、シェイクスピアだったかそこらが言っていたはずだ(うろ覚え)。だから、一旦「またかよ」という批判は傍に置いておくことにする。

すると見えてきたのは、『君の名は』『天気の子』と『すずめの戸締まり』の相違点だ。

これは『天気の子』では特に顕著だったのだが、主人公は筋金入りのセカイ系だった。要するに「1人の少女のために世界を滅ぼす」みたいなことを平気でやってしまうタイプだ。『君の名は』はそこまで極端ではないものの、そこらで暮らすモブキャラたちに意識が向けられることは一切なかった。

だが『すずめの戸締まり』は違った。すずめは物語の中盤でトロッコ問題を押し付けられて、草太の命よりも、何万人の有象無象を優先するシーンがあった。その後、草太を結局助けに行くのだけれど、有象無象の価値に言及されている展開は、これまでの作品にはない。

すずめは全国をヒッチハイクしながら旅をしていたわけだが、その中で出会った人が他人から知人、友人へとステップアップしていくプロセスが何度も描かれた。

そして、すずめが戸締まりをして地震を防ぐシーンでは、その地で暮らした他人たちの声に意識を傾けた。有象無象は空虚なロボットではないことを、すずめは心の底から理解していく。だからこそすずめは、『君の名は』では無視され、『天気の子』では切り捨てられた有象無象を救おうとしたのだ。

鉄の女サッチャーも、友達にはめちゃくちゃ優しかったと聞く。友達を奴隷労働させたり、殺したりすることは、ほとんど不可能だ。デヴィッド・グレーバーが言うように、奴隷とは、友達関係をはじめとした人間関係から一切断ち切られた人間のことだ。逆に言えば、世界中が友達になれば、奴隷はいなくなる。

残念ながら人が友達を作れる限界は150人だったか、そんなもんだと誰かが言っていた(うろ覚え)。そのため、「世界中友達!」みたいなユートピアを思い描くことは難しい。しかし、リアルな友達でなくても、すずめのように他人に想像を巡らせることはできる。たった1人の5歳の黒人の少女には寄付が集まるが、100万人のアフリカ人には集まらない。そういうメカニズムを良い方向に誘導していくことはできるかもしれない。

『すずめの戸締まり』が見据えているのは、柄谷行人がいう交換様式Dのような、少しユートピア気味な世界だ。思わせぶりに本棚に並べられていた『ライ麦畑でつかまえて』とか(今回は村上春樹訳じゃなかった?誰かみえた?)、『老人と海』とか、人間関係に夢を見せるストーリーを予期させていたのかもしれない(こういう小ネタは正直うざったいけどね)。

しかし、この作品は、人間を神格化することはない。いい調整役となっているのはすずめの育ての親である環さんだった。彼女がすずめに対して放った悪態の言葉(「アンタのせいで私の人生台無し」的なやつ)は全て本心だった。しかしそのことを認めた上で「それが全部じゃないんよ」という一言で、すずめと仲直りしていた。人間は完全な善意だけで構成されてはいないが、だからと言って善意が全くないわけでもない。

「全てを受け入れる母親の大いなる愛」なんてものは存在しない。僕だって子どもは可愛いけれど、うざいときもある。そういう混乱した心理を全部受け入れるところに、人間の愛がある。それは決して、理想化された愛ではない、等身大の愛だ。

「愛情の裏返し」なんて言葉も存在するわけだが、僕から言わせれば愛に表も裏もない。裏側に見える全ての感情もひっくるめて愛なんだと思う。

だから、『すずめの戸締まり』では、全ての人間が善意だけで構成されるユートピアを描かない。たまに悪態を吐きながらも、なんだかんだ付き合ってくれる‥そんな泥臭い人間関係が描かれているのだ。

あれ? もしかしてコレっていい映画?

最初はディスったけれど、やっぱ面白いし、好きだ(それも愛ってことでご勘弁を)。僕と新開誠の関係もきっとなんだかんだ続いていくのかもしれないね。

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