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え? まだ江草令フォローしてないの?【雑記】

noteやブログを書く人のステータスを、僕は走攻守の3つのバロメーターで見ることがある。

  • 走=更新頻度やテキストのボリューム

  • 攻=鋭さやラディカルさ

  • 守=論理的や堅牢さや多方面に対する配慮

大半のネット民はこのうちの1つを持ち合わせていればいい方だろう。更新頻度がものすごく高い人は、鋭さのかけらもない陳腐な文章を書き、論理的にも破綻しているケースが多い。逆に、鋭い文章を書く人はじっくり時間をかけて書いたり、人口の半分に喧嘩を売るような文章を書いたりする傾向にある。そして、多方面に配慮しすぎた文章は基本的におもしろくもなんともない。

高い頻度で重厚長大なテキストをアップしつつ、鋭い社会批判を行いながら、論理的に堅牢かつ誰も傷つかないように多方面に配慮しながら文章を書ける人間は、僕が知る限り1人しかいない。

それは江草令である。

※彼はこの前、「自己主張が苦手な人は多いから、周りが褒め称えてあげればいいよね」という記事をアップしていた。というわけで褒めようと思う。

※ちなみに以下の記事に便乗した。


走について

まず「走」の部分についての彼のポテンシャルの高さは、以下の画像を見ていただければご理解いただけるだろう。

そう。毎日更新ランナーである。

10月の途中からスタートして、もう半年近く継続している。しかも、数百文字を書いて終わりではなく、1記事あたり2000文字や3000文字は当たり前。1万字超えの重厚長大なテキストも決して珍しくない。

江草さんはお医者さんである。そして、おそらく2歳(?)のお子さんがいる。どうやら時短勤務のような状況にあるとはいえ、仕事をしながら、子育てをしながら(それもかなり子育てにコミットしながら)、本も読みながら、これだけの更新を継続するのは明らかに人間の所業ではない(江草令は神であるという仮説にも一定の説得力があると認めざるを得ない)。


攻について

とはいえ、ChatGPTが書いたような毒にも薬にもならないコピペ記事なら、これくらいの文量を書ける人もいるだろう。しかし、残念ながらそうではない。彼の記事は常に目新しく、ラディカルで、鋭いのだ。

では、江草さんの文章はどのようにおもしろいのか?

ざっと見返していると、彼の真骨頂は3種類に分類できることが判明した。

江草令の真骨頂1.誰もツッコミを入れていない発言や前提にツッコミを入れる

たとえばこの記事。

普通の人なら「うんうんそうですよねー」とスルーしてしまう「世界一忙しいイーロンマスクが・・・」という何気ないポストに対して、「イーロンマスクが世界一忙しいって本当か?」といちいちツッコミを入れるのである。しかも2記事連続で。

「そんな話題でそんなに書くことある?」と普通の人なら思うかもしれない。だが僕のような江草フォロワーならこう思う。「江草ならやりかねない」と。むしろ2記事程度で済んでいることに対して、イーロンマスクは感謝すべてだろう。

彼は熟練の検事のように、どんな小さな疑問や矛盾も見逃さない。しかもその追求は重箱の隅をつつくようなモノでは決してなく、現代社会の根底にあるドロドロとした闇を暴き出すまで終わらないのである。

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他にも江草さんは、偉い人の何気ない発言にもツッコミを入れる。

「医学部入学定員の漸減の必要性は火を見るより明らか」とサラッと発言して流そうとした医学界の偉い人に対して、怒涛の意義を唱えるのである。しかも、あれこれとデータを持ち出してきて、反論できないロジックを構築して。

もし僕が偉い人だったすれば、江草令の前では謝罪会見はしたくない。

こんな顔にさせられることは間違いない。


江草令の真骨頂2.言語化されていないものを言語化する

たとえばこの記事。

昨年の紅白で行われたけん玉ギネスチャレンジが、明らかに失敗していたのに「あれ、いま失敗したよね?」と誰も言い出せず、「成功ー!」と銀テープが飛び散った茶番は、まだ記憶に新しい。

このような事態を見たとき普通の人なら「日本人特有の忖度文化だよねー」くらいの薄っぺらい感想をポストしてスルーしてしまう。しかし彼はプルーストよろしく、当事者がどのように自己や事態を正当化し失敗をスルーしたのかを、事細かに心理描写するのである。それは他人による推測の域を遥かに超え、誰しも見覚えのある気恥ずかしいあの瞬間が、どのように無意識に構築化されているのか、説得力のある形で意識化に暴き出されていく。

まるで自分の心を丸裸にされるような体験であり、当事者にとってはたまったものではないだろう。そして、当事者ですらない僕も、なぜか気恥ずかしい気分にさせられる。似たような体験は誰しもが持ち合わせているのだ。しかし、いままでそれを誰も言語化しなかった。そのような普遍的な現象を彼は言語化し、世界の解像度を高めてくれるのである。


江草令の真骨頂3.逆説を指摘する

一度分析されればギャグのような茶番になる。しかし、分析されなければ誰もが真面目な顔して疑わない。そんな事態は往々にしてよく起きる。

それを茶番に変えることも、彼の真骨頂の1つである。

タイトルを一見するだけだと言葉遊びに過ぎないという印象を抱くかもしれない。だが、記事をのぞいてみると想像を遥かに超える密度の高い議論が展開されていることに驚かされるはずだ。


守について

さて、最後は「守」についてである。先ほども軽く触れたが、彼は説得力のある形でデータを持ち出してロジックを組み立てることに対して、抜群のセンスがある。

「だからなに?」というタイミングでデータを持ち出したり、「それってバイアスかかってんじゃないの?」という疑問を残すような無作法なデータの出し方がない。

洗練された仲居さんが自然に誰にも気づかれないうちにお茶を差し出すように、「データでございます・・・」とスマートに差し出すのだ。

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そして、彼の記事の堅牢さはデータによるものだけではない。多角的な視点から議論を補うテクニックも見逃せないだろう。

「◯◯という意見に対しては、◯◯という反論も考えられますが‥」「◯◯だからと言って◯◯とは限りません」的な予防線が、予防線として適切に機能するタイミングで張られているのである。予防線とは、予防線として機能しないのが常である。しかし彼の場合は違う。常人がなんらかの反論を抱きかけた刹那にはもう、すでにその反論は斬られている。熟練の武人のような業で、ネット論客をバサバサと切り倒していくのである。

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ネット論客は「あ、この人たぶんなに言っても言い返してくるわ‥」と判断し、彼に戦いを挑もうとはしない。彼は一度僕に対して「炎上やクソリプを食らったことがない」と語った。当たり前である。本当の強者は、戦いを挑まれる前に勝利しているのだから。


ちなみにお気づきだろうか。

この記事で引用しているのはすべてここ数ヶ月ほどの記事なのだ。決して特別に気合が入った記事ではなく、何気ない日常の一幕に過ぎない。彼のすごさは、その打率の高さ(いや、100%と言っていいのでは?)である。

大谷翔平をも軽々と超える打率である。

「今日の記事はハズレだな‥」などと感じる日が1日たりともないのだ(だから僕は社交辞令いいねではなく真のいいねを毎日彼の記事につけているわけだが、毎日つけているが故に「社交辞令いいねだと受け止められてるんじゃないか?」という不安が拭えなくなる。でも、これは真のいいねなのだ!)。

さらにテーマは多岐にわたる。専門の医療に関してはもちろん、労働問題や子育て、政治、教育に関する社会批評。書評。ハウツーまでなんでもありだ。アウトプット前提で24時間をインプットに注力していなければこうはなるまい。根っからのアウトプット人間なのだろう。逆にいえば彼の前で少しでも変わった挙動を見せれば、即座に執筆のネタにされるということだ。


結論

これ以上、僕の駄文で江草令を汚す必要はない。もうすでにこの記事の読者は僕の記事などほっぽり出して、江草令をフォローし、取り憑かれたように全記事を遡っている頃だろう。

まとめよう。江草令は神であり、熟練の検事であり、洗練された中居であり、無敗の武士であり、大谷翔平を遥かに超えるバッター。以上がこの記事の結論である。

これでも江草令をフォローしない理由など存在するだろうか? いや、ありはしない。note社が全アカウントに対して江草令自動フォロー機能を実装したとしても、僕はさほど疑問を抱くことはないだろう。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!