見出し画像

朧月恋花 第3章 薔薇③

 【連載 朧月恋花】

第3章 薔薇③ (初稿:2021.07.11)



 朝から暑さに拍車をかける蝉の声が響いている。

 助手席に会社と吉川への手土産を乗せ、希は欅通交差点の信号を、いつも通りいつもの時間に、青で通過した。


 何事もなかったように出勤してしまおうとも考えたが、やはり、部長には直接詫びようと背筋を伸ばして出勤を待った。その間にも、会う人会う人に詫びて回る。
 来ない。こういう時に限って来ないのが部長だ。窓際に置かれたお菓子箱のご当地マアムは一つ、また一つと減っていく。


「無理しないでね。何か手伝えることがあったら早めに言ってね」


 マアムに手を伸ばしながら、そうフォローを入れてくる同僚の優しい声とは裏腹に、希のデスクには担当伝票がそのまま山積みになっている。これが現実だ。


「黙職」とでもいうべき雰囲気が漂い、乾いたクーラー音だけが続いた。いつものペースで処理すれば、午後イチは吉川工房に行けるだろう。


 どこで噂を聞き、勘違いしたのか、結婚祝いを送りたいと手紙をくれた吉川には、淡々と事実と誤解を告げれば良い。その前の、アポ入れはごく自然でいいはずなのに、さっきからずっと連絡を入れるのを躊躇している。あと5枚伝票を処理したら、10時になったら、部長が出勤したら……。理由をつけて先延ばしにすればするほど、吉川のことが頭から離れなくなってくる。


 ふと集中力が切れた時、電話が鳴った。


――もしもしー!あっ、希ちゃーん。おはよ!今日は、直行直帰するわ!


 社名も言わせぬ間に、どこからどこに直行直帰なのかも言わない部長は、すぐに電話を切ろうとする。間髪入れずに続けた。


――あ、お休みをいただいてありがとうございました。それと、吉川工房の進捗ですが、どうなっていますか?取引中止は撤回という件に先方はご納得で?この件は、部長がご担当された方が良いのでは?
――うん。そう思ったんだけどさ。あの偏屈吉川殿のご指名なのよ!「今後も小石さんが担当なら」だってさ!
――こちらの、紙切れ一枚の、ついたり引いたりをよく許してくれましたね。まだ行ってみないとわかりませんけど……。
――だからぁ、帰ってきてくれてよかった。あ、そろそろ戻んなきゃ!じゃ頼んだ!


 切れた。復帰一日目というのに、爆発一歩前だった。そのエネルギーを利用し、すぐに受話器をあげ、吉川に電話を入れた。
 思っていたよりすんなりと繋がった。さっきまでのあれは何だったのだ。吉川の声は相変わらず落ち着いていた。


――小石さん。よかったです。御社に取引を再開していただけて。
――いえ、ホント恐縮です。ご迷惑をおかけしたのは弊社なのですから。それと……。


 わずかな間があり、二人は同時に「あのっ」と発した。

 すこし笑い合うと、希はやわらかく告げた。「やっぱり、そちらに行ってからでも構いませんか」と。


 (続く)


【あとがき】

 早くも夏到来。

  するかしないか、行くか行かないか。来るのか来ないのか。

 日々変化するニュースに、「もはやエンターテイメント」と漏らす日々。

 「本当のところ」「真実」というものが、人によってこんなに違うものかと。

  吉川の「取引再開」裏には、ロジックで説明のつかないエモーショナルが?

  来月もお楽しみに♪


 いつもお読みくださり、ありがとうございます。


あいとかんしゃをこめて。

2021.07.11 香月にいな

(初稿:20210711)

(※ 本作品はツーカイネットスクラム紙掲載のための原稿です。締切日までに改稿、編集、校正を繰り返すため、全く同じものが掲載になるとは限りません。あらかじめご了承ください)


↓↓↓バックナンバーはこちらから↓↓↓

【朧月恋花 第3章 薔薇①】

https://note.com/kaduki217note/n/n164bb8b61e41

【朧月恋花 第3章 薔薇②】https://note.com/kaduki217note/n/nae78a5c0aadd






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?