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朧月恋花 第3章 薔薇①

連載【朧月恋花】

第3章 薔薇 (初稿2021.05.10)



 この感情の呼び名を知ってしまった。

 水無月と書いて梅雨を迎える月くらい矛盾したこの揺らぎは、おそらくそうなのであろう。確認の為、友人にもカウンセラーにも相談してみたが、皆、そうである答えた。中には「そんなことも知らなかったのか」と笑う奴もいた。


 抗っているのは、当の吉川だけである。
 ドア一つ、あの子のその閉め方を思い出すことができる。

 確かに、そうなのかもしれない。
 3日降り続く雨だって、その解決策を出してくれそうにない。決意を固めた吉川は、その一滴の波紋の主のあて名から書き始めた。


《 ――小石希さんへ

 風が、雨を運んで来る季節ですね。

 お久しぶりです。いつもお会いしていたのに、こうして改めて手紙を書くのは照れくさいです。御社とのお付き合いが途絶えてしまい、甘えていたツケが回ってきたといいますか、工房はこの1年、とても苦しかった。(ごめんなさい。今、希さんに愚痴を言うつもりは無かった。今は、ネットやら融資やらで、どうにか立ち直せました)

 いつか、希さんが落されたイヤリングをお送りした際に聞いた住所を元に、こうして私信をあてる事、どうぞお許しください。
 

 さて、風の噂で、ご結婚間近と聞きました。希さんにとっての僕は、唯の営業先の1件に過ぎないと思うのですが、何かお祝いさせていただけたらと思いました。僕の個人メールアドレスは同封した名刺の裏にあります。よろしければ、お返事いただけたら嬉しいです。

 時節柄、どうぞご自愛くださいませ。 

 吉川和也         》



 カタンコトントンの単線に乗り続け、鈍行で終着駅に向かう途中、希は手持無沙汰になった。とはいえ、幸せに満ち溢れた二人のSNSを見るかと思うと、スマホを弄る気にもなれない。

 出かける前、ポストからはみ出していた手紙を旅先に持って来ていた希は、ほんの軽い気持ちでそれを開いてしまった。むろん、吉川に何の罪も無いことは分かっている。けれども、それを読んだ瞬間、希のことを誰も知らない車内であっても声を荒げて破り捨ててしまいたい衝動に駆られた。

 少し空けてある車窓から、湿った風が入って来ては頬を撫で、通り過ぎていく。夜明け前、家を出た時、鏡に映って反対側に捉えていた朝陽も、ちゃんとした方向に沈んでいくようだ。

 吉川のことは、よく覚えていた。

 あの日は、工房の近くにある薔薇園を一緒に散歩した。隠すつもりも無かったが、希は、彼にはずっと、コウちゃんとのことは話さずにいた。


「薔薇って、ホントに棘、あるんですかね。僕、花の見分けがつかなくて……」


「あそこにまだ蕾のがあるから、枝、見てきなよ!」

 工房のすぐ隣だというのに、花の事には全く興味がないという吉川に、希はあえてフランクに言った。吉川は言われるがまま、その棘に触れ、「ホントだ!ある!」と無邪気に笑ったかと思えば、急に「僕、帰んなきゃ。ご飯作る日だから……」と顔を曇らせた。


 まるでジョバンニだ。


 はにかむ吉川の手は、カサカサしていた。ハンドクリームを欠かさない希のその手よりも、酷く。嘘をつけないひと。真っ直ぐなひと。それでいて繊細に何かを読み取ってしまうその手は、正しく職人だった。会社が取引終了の文書を希に持たせたこの日だというのに、それでも吉川は希の前で笑っていた。

「今日のところは、帰りますか」

 無理やりあげた希の提案のトーンを拾った吉川は、すっと目を逸らすと、どこか遠くの方を見て言った。

「風が、雨を運んできますね」

 全く話が噛み合わなかったこの日のことを忘れていなかったのは、どうやら希だけでは無かったようだ。

 遠くの街でも、風が、雨を運んで来た。

 終着駅に降り立った希は、片足ひとつ入ってしまう大きさの水たまりに、自らちゃぷっと飛び込むと、やっぱり吉川には、メールしてみようと思った。(続く)




【あとがき ~初稿のゲンバより~】

 「何か、変わりましたよね」そう言われることが多くなりました。

 最近の和歌山は、早くもツツジが終わり、もうそろそろ蓮の頃です。いかがお過ごしでしょうか。

 連載『朧月恋花』の第3章のタイトルは、以前、SNSを通じてアンケートにご協力いただき、「薔薇」となりました。その節は誠にありがとうございます。「薔薇」という響きから、どのようなイメージをお持ちでしょうか?

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 発行元との兼ね合いにより、掲載についてはその時々で休載となる場合ももざいます。どうぞ、こちらnoteでも希と吉川の今後の展開を、楽しみにしていただけたら幸いです。(※締切日までに改稿、編集、校正を繰り返すため、全く同じものが掲載になるとは限りません。あらかじめご了承ください)


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 吉川さんのメールアドレスではなく、わたくしのメールアドレス、SNSですが、もしよろしければ、ご感想等をお寄せくださいませ。

 末筆となりましたが、あなた様の6月が喜びで満ち溢れたものでありますよう、お祈りしております。

 愛と感謝をこめて。

2021.05.10

 香月にいな tankachick2017@yahoo.co.jp   






《2021.05.11 05.35改01》


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