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ゼロに戻してくれる友人

「コロナで引きこもり疲れしました。週末、走りましょ!」
彼女はいつもそんな風に突発的に、コンタクトをしてきてくれる。
そして、その提案が、私をくすぐる。

何回かメッセでラリーが続き、週末に川沿いをランニングすることに決まった。

当日。
程よく距離を確保して、私たちは走り出した。
走りながら、いつも以上に彼女が饒舌なことに気づいた。
そしてそれは私にも言えたことだ。


お互い、「誰か」とリアルに会って話せることに飢えてたんだな、と思う。
やっぱり気づかないうちに、今の生活はどこかで「我慢」をしているのだと気づかされる。


そして彼女と走っていて、気づいたことが更にあった。

それは、彼女の前では自分がリセットされるような感覚になること。

彼女は自分のペースを保ちつつ、こちらが感じない程度に、こちらを気にもかけてくれる。
走ったり、歩いたり、止まったり。
しゃべったり、水飲んだり、黙ったり。
マイペースでいてくれるから、私もマイペースでいられる。


だから。
走りながら、好きな映画や海外ドラマ、本やマンガの話をしていても、
全くと言っていいほど、価値観や興味の範囲が異なるのだけど、
驚くほど心地が良い。


日頃暮らしていると、それぞれのシーンで「役割」を担っているのだと思う。
どの自分も全て自分だし、それで良いと思っている。
けれども、やはりどこかでその場面場面で、期待される役割に応えたい、
と、無意識に思っているのだろう。


だから、これまで他者から、
「あの時、本当はこんな風に(行動)して欲しかった」とか、
「私の気持ちに気づいて欲しかった」とか、
「あなたのためを思って…」とか。
そんな言葉を、時に受け止めきれないこともあった。

そっか、あなたの期待に私は応えられてなかったってことだったんだね。
って。
相手を責めたり、拒否したい気持ちはなく、
逆にそうできなかった自分にがっかりすることもあった。

期待に応えたい自分を、相手にも受け止めて欲しかったな、という気持ちもあったのだと思う。

そんな風に、
きちんと使命を果たそう、期待に応えようと、いつもの自分をプラスへ傾かせようと励んでみたり、
うまく行かずに落ち込んだり、悔やんだりとマイナスの方へ傾いたりと、
行ったり来たりをしながら、日々過ごしているのだと思う。


だけど、一緒に走りながら、彼女にはそういう、私に対する期待のようなものが全くないなぁ、とつくづく感じた。
だから彼女の前では、ありのままの自分、
ゼロのままの自分でいられる気がするのだと思う。

自然と、そんな自分を受け入れてもらえる強い確信があるし、
もちろん、私も彼女に対して全く同じ見方をしている。
突然連絡を寄越しても。
しばらく音信不通でも。
突拍子もない提案でも。

いいよ!いいよ!!って、全て受け止めたくなる。

世の中が落ち着いたら、いつか一緒に旅をしたいね、と話している。
私は本当は一人旅が大好きで。
旅先で、気持ちをリセットすることが多いのだけど。
彼女となら、気ままな旅が一緒にできそうな気がしている。

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