どうせエネルギーを注ぐなら嫌なことより好きな方へ使いたい
好きになった相手や事柄に、理由がつけられない!
ということはありませんか?
言語化できなのだけど、好きなもんは好き。
それじゃダメですか♡?って。
アドレナリン、ポジティブなエネルギー、その他、とにかく幸せに繋がるような分泌液(笑)が、ドバドバ自然に溢れ出している状態。とても幸せな状態ですね。
一方、逆パターンとして。
相手を嫌いになってしまう時、何か理由を一生懸命探して、自分を納得させようとする。
そうしないと、「相手を嫌う自分」に折り合いがつけられない、とでも言いますか。
そんなこともあるよなぁ、と。
ここ最近、立て続けに、周囲で、その「嫌いな(嫌いになった / 嫌いになろうとする)理由探し」をしている人の話を聞く機会がありまして。
でも、じっくり話を聞いていると。
○○という理由があるから、嫌い。
なのではなく、
嫌いになるために、○○という理由付けをして、
(必死で)自分を納得させようとしている、
そんな風に、聞こえてくるんですね。
そして、言葉にはしてないけど、本当なら嫌いになんて、なりたくなかったんだろうなぁ、と。
色々な形の「情」が、確かに存在していたことが伝わってきます。
だからこそ、嫌う時にも、エネルギーが必要になることを、つくづく感じました。
渦中は難しいことかもしれませんが。
もし、自分が本来ならこれ以上注ぐ必要がないものにエネルギーを投じているな…と気づけたら。
一旦立ち止まって、
まだまだ「嫌いな相手や事柄」にエネルギーを使うのか?
その消耗戦にどんな意味があるのか?
それとも、一区切りつけて、本来注ぐべき方向にエネルギーを注ぐことにするのか?
無理矢理、切り替えるということではなくて、自分の中から納得いく答えを探してみるのが良いのだろうと思いましたよ。
ちょっと今日は短めの気づきメモでした。
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