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 さよなら、にぃまるにぃにぃ

   2022年1月に上京した際、立ち寄りたい本屋があった。台東区にある「Readin’ Writin’ BOOKSTORE」。読んだり、書いたりする本屋。店主の落合博さんの経歴が、ちょっと変わっている。
 1958年、山梨県甲府市生まれ。東京外大イタリア語学科を卒業後、読売新聞大阪本社、スポーツ雑誌を経て、毎日新聞に入社。主にスポーツを担当したが17年に退社し、本屋を開業した。合計3回も転職し、最後は私と同じ自営業である。店内で読書会や文章教室を開いているので、読んだり書いたり、という書店名にしたとか。
 その経験をつづった『新聞記者、本屋になる』(光文社新書、2021年)が面白かったので訪ねてみた。倉庫を改装した書店は、本好きにはたまらない空間と品揃えだった。売れ筋の本は置いていない。新刊だけではなく、旧刊も充実している。
「こんな本、出てたっけ?」
 見逃していた本を発見することしばしば。さほど大きな書店ではないが、本棚の隅から隅まで見る。至福の時間。7~8冊を購入する際に、レジの落合さんに声をかけた。来客との対話が楽しいと著書に書いておられたからだ。持参した『新聞記者、本屋になる』を鞄から取り出す。
「これ読んで、来ました」
「ありがとうございます。どちらから来られたんですか?」
 笑顔で問い返された。大阪から来たこと、地方紙記者の経験があること、現在はフリーであること、知り合いが本屋の開業を考えていること等々をしゃべった。
 さすがに元記者だけあって、聞き上手である。私も本屋経営に関して、初歩的な質問をぶつける。丁寧に答えてくれる落合さんの顔が、なんとも楽しそうだった。こんなに幸せそうに話をする人を見るのは初めてかもしれない。現在の仕事が楽しくて仕方がないといった感じ。
「大阪で毎日のように通ってた居酒屋があって、長いあいだ行ってないんですよ」
 落合さんがおっしゃる。
「どこの何という店ですか?」
 聞けば拙宅から徒歩10分の距離にある、私も好きな居酒屋だった。
「今は3代目が継いでますよ」
 上機嫌でそう伝えた。もっと話したかったが、商売の邪魔になりかねないので、幸福な気分で店をあとにした。

 実は東京には、カミさんと来ていた。落合さんとの会話にも参加している。
    店を出て新幹線で大阪に帰った。彼女は私が持参した『新聞記者、本屋になる』を東京駅から読み始めた。移動時はすぐに船を漕ぐのが常なのに、この日は違った。新大阪駅に着くまでには読み終えていた。
 それから約1週間後。カミさんが「会社を早期退職する」と言い出した。30年以上勤めた会社を? 50代半ばやから、定年までにはまだ時間があるやんか…。
 なんでも落合さんと話をし、著作を読んで、吹っ切れたらしい。そりゃ、あの笑顔を見たら、人生考えるよなぁ…。2回も転職している私が、反対する道理はない。
 カミさんは有給休暇を使い切って9月に退職し、現在は外国人に日本語を教えている。
 人生、何があるかわからない。

 全国水平社が結成されてちょうど100年が経つ3月3日。私の携帯電話に、見知らぬ番号から着信があった。
「角岡さんの携帯ですか? 川上道子(仮名)の夫です。実は道子が先日亡くなりまして…」
 私より少し歳上の道子さんは、私が地方紙の記者になる前にアルバイトをしていた先で知り合った。そのときは既に結婚されていた。私のアルバイト期間はせいぜい半年ほどで、彼女とはそれほど親しかったわけではない。私が社会人になってからも、年賀状のやりとりだけは続いていた。それを見て、お連れ合いが連絡をくれたのだろう。
 以前から膠原病を患い、入退院を繰り返していたという。今年の年賀状には < 難病で車イスという事で散歩に行けないので猫3匹飼っています > と書いてあった。最期は敗血症で亡くなったらしい。
 お連れ合いから連絡がある半年か1年前に、私は道子さんと電話でやりとりをしている。というのも――。
 固定電話の留守電がたまっていたので、順番に消去していたら、道子さんからのそれがあった。なにやら人探しをしているようだが、要領を得ない。年賀状を取り出し、家の固定電話にかけたら本人が出た。以前入院時に知り合い、世話になったおばあちゃんに礼を言いたいのだとか。さがす方法はないかというのである。
 病院は個人情報は教えてくれないと思うけど、一回チャレンジしてみたらどうですか? 私はそうアドバイスした。その後、連絡先がわかり、お礼を言うことができましたという報告があった。それが最後の会話になった。
 それにしても、何十年も会っていないのに、私に連絡をくれたというのも不思議な話である。別れを告げるために連絡をくれたのだろうか。
    またひとり、年賀状を書く人が少なくなった。合掌。

 2022年5月2日の読売新聞朝刊の死亡欄に、知った名前があった。
< 古沢要氏56歳(ふるさわ・かなめ=読売新聞大阪本社写真部長)4月27日、急性心筋梗塞(こうそく)で死去。告別式は近親者らで済ませた。喪主は妻、善代さん >
 私は神戸新聞に89年に入社し、姫路支社に赴任した。翌年に古沢君が読売新聞に入社し、姫路支局に配属された。私は当時は市政記者、彼はサツ回り(事件記者)で部署は違えど、姫路城近くの安い焼き鳥屋で、何度か酒席を共にすることがあった。
    大学は私と同窓で、彼は野球部の投手だった。私が根城にしていた学生会館は、すぐ前に野球グラウンドがあった。たまにぼんやりと練習風景を見ていたことがある。その中に彼の姿もあったはずだ。
「僕は毎日毎日、投球練習をしてるようなもんです。事件がはじけた(発生した)とき、ちゃんと投げられるよう、夜討ち朝駆けしてるんです」
 記者修行を野球にたとえ、焼き鳥をほおばる新人の姿をいまでもよく覚えている。
 姫路支局のあと、大阪府警一課担当や運動部、岡山支局長などを歴任した。紙面で署名記事を見るくらいで、互いに姫路を去ってからは再会する機会はなかった。
 姫路で一緒にサツ回りをしていた神戸新聞の西岡研介君(私の2年後輩)が証言する。
「真面目も真面目、超真面目でしたわ。たまには息抜きしたらどうないですか? いうくらい仕事してましたねえ」
 やはり、黙々と投球練習を続けていたのだ。
 今年の4月に甲子園球場で開かれ、母校が出場した関西学生野球春季リーグの試合観戦後に倒れたらしい。母校の勝利を見届け、短い生涯を終えた。
 古沢要君の完投に、献杯!

 11月下旬に、仕事で高知県四万十市へ行った。東西に長い高知県のほぼ西端である。仕事を終え、高知市内に帰る途中、知り合いの Y さんに会いに行った。某町の職員を経て、町議を務める後期高齢者である。7年前に私のブログを見つけてくれ、交流が始まった。
 以来、季節の果物や野菜を段ボールで送ってくれる。大阪で高知産のそれを一番口にしているのは、私であろう。果報者だ。
 段ボールの宝箱はしょっちゅう届くので、お礼の電話をかけたり令状を書いたりしているが、お会いするのは久しぶりである。無人駅に降りると、背筋がピンと伸びた Y さんが立っていた。
「お変わりありませんね」
 世辞でなくそう言うと、「そう見えるだけで、体はあちこち痛んどるんよ」とおっしゃった。
 昼どきだったので、海の近くにある飲食店で会食した。実はこの会食が、私の目的である。サザエ、ハマグリ、牡蠣 … どれも、申し分ない。そうそう、カツオのたたきも。ところが Y さんは、海産物が苦手だという。ええーっ! 高知県人がっ! カツオを人にもらっても、鍋で煮て飼い犬に与えるのだとか。もったいない話である。何とかならないか。
 いつもいろいろ送っていただいているので、ここは私が勘定を … と考えていた。そのために、会いにきたのである。ところがその店の接客を Y さんの甥がされていたので、機会と気力を失った。私が会計をしたら、Y さんが怒り出すのは目に見えていた。
 土佐人を怒らせると怖い(知らんけど … )。それにしても、私は何のために、Y さんに会いに来たのだろうか…。おい、こら、しっかりしろ! 心の中で、自分の頬を打つ。
 会食後、車で高知空港まで送ってくれるという。2~3時間はかかる距離である。途中でミニトマトを栽培する、ビニールハウスに立ち寄る。ここのミニトマトは、いつも Y さんが、5箱も送ってくれる。合計数百個! 具がミニトマトだけのパスタをつくる。めちゃくちゃうまい。ビニールハウスですくすくと育つそれを、指さし確認する。
 空港に向かう車の中で、いろんな話をする。町議会、体調、部落問題、共通の知人の話 … 。互いの趣味・クラシック音楽の話で盛り上がる。Yさんは、クラシックのCDを3000枚ほど持つ熱狂的なファンだ(私はせいぜいその5分の1か6分の1)。
 どの作曲家のどんな曲を聴くか、どの演奏家が好きか。私の知らない名前も出てくる。いやー、こんなにオタクだったとは …。楽しかった。
「『クラシックTV』(NHK・Eテレ 木曜21時~)見てますか? 面白いですよ」
 お気に入りの番組を、おススメしておいた。
 午後3時過ぎに、高知空港に着いた。イチゴ3箱を含め、かかえきれないほどの果物と野菜を持たせてくれた。いったい私は、何のためにYさんに会いに行ったのか…。
「暗くならんうちに帰るわ。あんたも気を付けてな。元気でな」
 そう言って、Yさんは去っていった。
 6~7年前に高知県内を車で案内してもらい、やはり車で空港まで送ってもらったことがあった。空港内の喫茶店で、たっぷりおしゃべりをした覚えがある。今回もそれを楽しみにしていた。だが Y さんは、あれから年齢を重ね、慎重を期して明るいうちに帰られた。とたんに、さみしくなった。
 イチゴの箱が傾かないよう、大事にかかえて持ち帰った。その甲斐あって、帰宅後にフタを開けると、真っ赤な大粒が整然と並んでいた。口にしたそれは、これまで味わったことがないほど美味だった。

 Yさん、そして読者のみなさま、2023年もよろしくお付き合いください。<2022・12・30>


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