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INTERNET YAMERO を考える/昨日書き漏らしたこと

超てんちゃんの新曲のことでもネットのキャラのVtuverのことでもないです、インターネットのどういうところがよくない影響なのか考えるという雑文です。

昨日の記事で描き損ねてた項目の話。インターネットと孤独について。

インターネットは発信:承認欲求(と呼ばれるもの)だけが問題なのではない

ネットの害として承認欲求の肥大、あるいはごくうちわのグループラインのつもりでのやんちゃ(この言葉って今良い意味で使われることあるんだろうか)を全世界に公開、うっかり守秘義務放流、などの「発信の危険性」が挙げられやすいです。
それは実際にそう。じゃあ閲覧だけなら安全かというとそうではなくて、むしろ閲覧だけしてるほうがやばいのかもしれないと思ってます。

海馬は「いい考え」を自分が思いついたことにする

確か森鴎外か夏目漱石かだったんですけど、その辺りの文豪の人が英語学習について問われてこんなことを返したそうです。
「問題を読んだら、答えのページを見る前に絶対に文字にして残しておくこと」。

なんかわかる話ですよね。文字にしないで答えを見ると、「あー、自分もそんなかんじのニュアンスでとらえてたわー」ってなっちゃうんですよ、実際そんなにかすってなくても。2割かすってたら7割くらいあってたみたいに脳内が補正しちゃう。だから物証として文字に残しておけと。
いいようにとらえられないようにクライアントとのやりとりはメールにしておくとか上司とのmtgも議事録にしておくとか、そういうのを自分相手にもやるべきって話。

あとオモコロチャンネルのどこかの回で「きれいめな感性の「あるある」は、「自分もそう思ってたことにする」が発生しやすい、みたいなことも話してました。実はそんなふうに考えたことなんてなかったのに、「そういう感受性の自分でいたいから「あるある」と言ってしまう」みたいな。

あとデジャビュ、既視感の話。
あれってだいたいの場合において海馬のバグで、その時初めて見たものを「前にも絶対に見た」って思い込むやつだそうですね。記憶の改竄。

なにがいいたいかっていうと、人間の脳、都合のいい考え方や都合のいいものに出会うと「自分もずっと前からそう思ってた」という手柄の横取り的なことがすごく発生しやすいっぽいんです。

インターネット、読むことも問題、というかたぶんそっちのほうが問題

で、インターネットで小さなことから大きなことまで、いろんな人の感想とか感情とか読むじゃないですか?
そしたら、「私もそう思ってた!まさにこの文章が私の言いたいことだった!ずっとそう考えてた!」ってなっちゃうんですよ。自分自身ではそんなの考えたこともなかったのに。
そうなるとますます「自分自身で考える」力が弱まり、自分の感情や感想を代言している言葉を探してインターネットをさまようことになる。

アニメを見て、本を読んで、映画を見て、自分自身の感想を固めるまえにTwitterを検索するのがまさにそう……探すのはいい、そのまえに自分の言葉で言語化しないといけない、答えのページを見るまえに、絶対に、文字にして残しておくこと。

あんまり語彙がないこどもが(ときとして大人も)「うぜえ」「やべえ」しか不快を表現できないのは、どう不快や不安や不満を感じたかを言葉にできない、言葉にするほど分析できていない、考えられていないから。

言葉にしよう、拙くても

思い返すと、二次創作している間はなんだか情緒が安定してる気がしてたし(まあ創作にまつわるあれこれでストレス溜めてたので差し引きゼロかもしれない)、だからなにかしら「はまれる」ものを求めて彷徨っていました。

noteでも実はその感覚はあるんですよね。それ、とにかく「考えたこと」をある程度理屈つけて並べて吐き出してるからかもしれないな、と思ってます。役にたつことを書こうとしてたときはそういう感じがありませんでした。誰の役にも立たないかもしれないけど私が思ったこと考えたことをどんどんかいていこうと決めてから、なんか良くなってきた気がする。
あとわたしそうして考えたことけっこう忘れて数年おきに3回くらい発見したりとかよくするから……

あとあれですね、株式会社デラと編み物も、いいですね。
そういえば最近「相槌読書」と命名した読書法をしているんですが、これももしかしたら短いスパンで言語化らしきことをしてるってことなのかもしれない……この相槌読書については後日またまとめておきます、数年おきの発見でなくせいぜい数ヶ月おきの発見に止めるためにも。


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