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承認欲求がないという話とオタクの浪費について考える

先日こういう記事を書きました。
承認欲求という欲求は、実は存在しないという話。

で、このへんと、最近考えてる「オタクの消費/浪費とは」ってこととか、また近年やってきた同人誌の価格問題とか、そのへんを回想しながらつらつら書きます。
いつも以上に話があっちこっちするし自分の覚え書きです。

承認欲求→認知/発信欲求

承認欲求とは実は存在しない概念、言い換えるなら「認知欲求/発信欲求」とでもいうようなものです(これは私が今作った造語)。「承認」だと相手に認められないと発生しないけど、そうじゃなくて「認知」で十分ってかんじ。
そういえばSNSには「自分のことを書き込む」だけでも脳に報酬系のアレが出ると読んだことがありました。発信は本能。

でもって、人間が認識できる「群れ」の数は150人程度が限界、それ以上は「国家」という概念などで認識する、という話もどっかで読みました。この「概念」でもって150を超えた数を同胞扱いできたことがホモサピエンスが生きた理由である、とも。
そしてSNSというのは人間には過ぎた人数の付き合いのものであると。

で、オタクの消費の話なんですけど。
どこの界隈でも「めっちゃ消費してることを投稿する」タイプの人、何割かいますよね。
二次創作する界隈では少数派ですが、演者が存在するタイプのジャンルだとよく見ます。CDタワーとか痛バとか全通アピールとか。それでね、「無限回収」ってちらほら見たんですね。

無限回収のことを考える

わたしがツイッター始めたばかりのころ(今調べたら13年前とかだった、うわあ)、「無限回収」というワードと写真の異様さに驚いたことがあります。無限回収って文字通り無限に回収するってことで、例えば推しのグッズ、このキラカード、などの「同じ商品」をとにかく大量に集めまくるって人です。ツイートのメディア欄には「業者の方?」みたいな、同じカード数十枚を平置きした写真が並ぶ。

あれ、初めて見たときは「なんかそういう性癖の人なんかな、同じものがたくさんあると興奮するフェチみたいな……」と思い、その感覚はずっとあんまり変わらなかったんですが、この「認知欲求」でけっこう説明つくなーと思いました。承認欲求ではつかない、認知欲求でならつく。

「◯◯(特定の推し/商品)を無限回収してる△△(HN)です」って存在、タイムラインなりオフ会なりで「ああ、あの△△さん」ってなるもの。視聴購入だけしてる人、というのでなく「あの△△さん」になる界隈で、名前を認識される存在になる。
この認知が欲しくて無限回収してたのかな? というのが私の今の考えです。あの人たち、SNSに投稿できなくても無限回収してるんだろうか。どうなんだろうか。

名前のある存在になるために購入/浪費する?

当時私がいたのはとある女児向けアニメのファン界隈です。まだオフ会が活発だった、当時は。

で、私は単にファンの人たちと直接接して会話がしたくてオフ会にそこそこの頻度で参加してたんですね。それまでのファンの関わりって二次創作者がほとんどだったんですが、女児向けアニメ界隈だけあってそうでない人がたくさんいたんですね。コスプレイヤーとかカメコとか。単純に作品を追いかけるのだけが楽しくて、話がしたくて来た、て人もいました。というかオフ会の中心はそういう人たちでした。

で、そこでいろいろあって、「どうも自分で何かしらのコンテンツを持たずにオタクコミュニティに参加してる人って、劣等感があるらしいぞ」って気づいたんですね。もちろんそうでなく交流をただ楽しめる人もいたんですけど(というかそういう人のほうが多かったんですけど)、この「交流を楽しめない」人は、コミュニティの中でなんらかの地位を得たがるっぽいんです。
いやなんかうまくいえないな、コミュニティの中で自分のカーストがはっきりしてないと安心できないしコミュニケーションではその上位にいけないけどカーストが高くありたいと考える人、とでもいうのか。
このへん自分でもなんかうまくまとまらないんですけど、そういう人がいるっぽいって私が考えてるってだけなんですけど。

で、そういう人が、「たくさん買う」ということで自己発信をするんじゃないかなあ……と、2023年現在の無限回収への私の考えはそういうことです。

SNSに振り回される買い物

二次創作やおもしろツイートをしなくても、人柄で交流しなくても、「こんなん買ったった」ツイートは金さえあればできる。
タイムラインへの、人の注意を惹きそうな、自身の有用性を発信できる情報の放流が可能になる。ファンアートが作れなくても、斬新な切り口の感想がツイートできなくても、人柄で存在感を示せなくても。

怖い話だし、私は幸いにしてコミュニティに属する際は大抵なんらかの二次創作をしていたので(そしてどこのジャンルでもそこそこ認知されてきた)異様な浪費に飲み込まれずに済んだだけの話なんだろうなと今は思います。二次創作があまり捗らないときはやっぱりグッズ買ったツイートしてたし。

なんかそれでいうとコラボカフェってさあ、(以下略)

なお「いっぱい買う」の他に、若い女性だと「とりあえず既製品の衣装フルセット購入してレイヤーを名乗る」ってやつもありますね。これもある種、発信できる情報をお金で買ってると言える。この手の人たちは作り込みが甘い傾向があります。

SNSという人間の脳には過ぎた空間で発信するための買い物、だからこそ「生活」「好き」とは離れた買い物になってしまうのかもしれない。

以下どうでもいい余談。

ところで上記女児アニメ界隈にいたとき、私は特に二次創作してることは話さずに参加してました。言う意味ないし。
そんな私をどうも下カーストに見てたらしい女性が(あとから思うと手下にしようとする行動をいくつかしていた)、彼女の思う上位カーストのコスプレイヤーに「枚子さんてあれ書いた人ですか!?あの小説すごく好きです!」って私が言われた、のを隣で見てたときの顔、が、すごかった。十年以上経ってもまだときどき思い出す。藤田和日郎の漫画で1ページ使って描かれる絶望顔、本性顔を思い出してほしい。あれ。

なんか今もそういう構造抱えたコスプレイヤー的なあれそれのグループってカーストあるらしいですね。
二次創作者がトップ、次がレイヤー、次がカメコ、次がいわゆる無産。どれも本人が好きでやってる人たちには迷惑な考えですけど……カースト重視してる人(自分が好きだからやってる、というのでなく地位目当てで活動している人)は、他者もそのカーストに振り分けて扱う……

ツイートできなくてもそれを買うのか? を考えたい

これはオタク的な買い物でなくても、そうなんですけど。
がんがんツイートに戦利品を投下するタイプの私ではあるんですけど。

そのアイテムは、そのカフェは、本当に自分が好きで、欲しくて買うのかってこと、ツイートできなくても買うか? って考えたいですね。

もし「行った」ツイができなくてもその雑なコラボカフェに行くのか(言っちゃった)とか、そういう。

ツイートできなくても買うならそれは消費であり投資だっていう、そういうことじゃないかなあと、思いました。

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