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承認欲求というものはないらしい

岡田斗司夫と勝間和代をよく見ます。メンバーシップに入っては抜け抜けては入りを数ヶ月おきにくりかえす。

で、先日見てた切り抜き(切り抜きなのにそれなりに長い)で、こんなのがありました。おもしろかったので自分用にメモ。

記事タイトルにもかいたように「承認欲求っていうのは後付けでつけた理屈で、本来はそういうものはない」っていう話なんですけど。

じゃああのSNS依存やいいね数やリツイートが気になるのは、インスタに投稿しまくるのはなんなんだってことなんですけど。
それこそが、多数の類人猿が出現したホモサピエンスが生き延びた理由だそうです。
集団生活において、じゃまなやつ、むかつくやつってのはもちろん排除の対象。自分の群れの不和は、そのまま死につながるから。
だから人間の脳ってのは、「自分はこういうことをしている」と知ってもらうこと、そして他者の情報を集めることで脳内に報酬物質がたくさん出るようになってるんだとか。
でもって「異物」と認識した人間のことは、そいつが死ぬ(脅威にならない状態になる)まで許せない。許すと危ないから。
その優先順位、なんと食欲や性欲よりも上位。

だからインスタにとにかく珍しい食べ物とかアップしてるのは承認欲求ではなく、もっと原始的な本能で「わたしはこういうことをしてます、こんな珍しいものに接してます(だから私は有用な存在です)」という行動をしてる、んですって。

で、狩猟時代の原始人の死因、実は同じ群れのやつに撲殺されてるのが多いんですって。たぶん不審な行動をとったとか逆に何もアピールしなかったとかだったんでしょうね。リアル人狼か?

確かに承認欲求って進化の過程で発達するタイミングがようわからんものだし、そういう理屈のほうが納得できる。噂話、情報収集は人間の本能。
で、その本能に対してSNNってのはキャパオーバーな存在だそうです。そらそうよリアルに顔合わせてて数千人数万人に認知されるなんてそんなんないよ。
で、このへんの仕組みがわかったのが実は最近なんですって。「承認欲求」はもう古い。情報発信と収集こそは本能。

二次創作界隈などでよくいうのが「大勢にうけようとするのでなくごく身近に、もっというと自分自身が喜ぶように書くとうまくいく」というのがあります。一次創作でもそうなのかもしれないしマーケティングではペルソナと言ったりしますが。「なんか大きい人数」ってのはそもそも処理できるものではないのかもしれません。

私は「狩猟時代の数万年に人類がこう過ごしてきたからこういう性質なんだ」っていうホモサピエンスの習性トークが大好きです。
ほかにわたしが採用してるのは報酬系の話とか、あと色へのイメージの話とか(水色は開けたところだから安心/若葉の黄緑はでかい草食動物がおらず水辺も近いから安全/赤はとにかく緊急事態、など)。

最近知った話では「人間がキラキラしたものを好むのは、狩猟時代に水辺のキラキラが遠くに見えたらとにかくそこに行くことで生き延びてきたから」というやつが好きです。人間、数日絶食しててもそこそこ生き延びるけど水がないとわりと即死ですからね。

「卒論」でもこのへんの話ちらっとしましたが、なるほどSNS界隈というホモサピにとってのオーバーテクノロジー枠なコミュニケーションをやろうとすればおかしくなるほうが普通かもしれない。そんなふうに思いました。


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