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短編小説「押し進む明日」




 水曜日の放課後。来週から冬休みとなる教室には児童の所有物が少ない。絵の具セットや習字セットなど、計画的な児童ほどロッカーの中は空であった。そんな普段より少し物悲しい教室には、先生と男子二人しか残っていない。「明日はきっと計算ドリル2ページは出ると思う」ユウタは、隣に座り自由帳にメモ書きをしているカケルに小声で話しかけた。先生は教卓でパソコンをしており、離れた席に座る2人の会話はどうやら聞こえていない様である。




 普段は声の大きいユウタ。彼のマスクはそのせいかいつも少し濡れていた。それをよく同じクラスのミカに指摘され渋々新しいマスクをランドセルから出し交換していた。しかし、今日はマスクは少しも濡れていない。「今日の算数の時間、『このままだと5年生の分が終わらないから、超スピードで進めるけど、皆がんばってついてきてね』って先生が言ってた。きっと宿題にして進める気だぜ」





 先生に聞こえないよう小声で話すユウタはいつになく真剣だった。大っ嫌いな算数での話しを覚えていたことが、何よりの証拠だった。「今日中に計算ドリルも?無理だよ、やっぱり、この中から2つに絞ってやろうよ」カケルは文句を言いながら、自由帳のメモ書きのページを破いた。そして、下の方に〝計算ドリル2ページ〟と書き加えユウタに渡した。破られたページの上半分には〝漢字1ページ〟〝自主学習2ページ〟〝漢字ドリル2ページ〟〝音読1回〟という宿題の内容らしきものと、その下に明日の予定が記されていた。そして、そのリストの一番上には〝ちょう極ひ!木曜日の宿題予想 カケル、ユウタ、ミカ三人ひみつツアー大作戦〟と尻すぼみに小さくなる字で題名が添えられている。





 「カケル、この中から2つに絞るのは難しいって。やっぱりミカも入れて3人で宿題の相談した方がよかったんじゃない?せっかく幼稚園からの仲良し三人組最後なんだしさ…」ユウタにミカの名前を言われ、カケルは無意識に教室のミカの席に目を向けた。今座っている窓際の自分の席からは黒板前のミカの席がよく見える。放課後で教室に誰もいないからじゃない。授業中だって、ほかの奴の背中が何故か重ならないようにミカの背中がカケルには見えた。だから、カケルはミカの背中がさみしそうなのに気付けた。ミカは明後日引っ越す。引っ越すといっても、距離も近く隣の小学校に通うことになるだけだ。中学生になれば同じ中学校に通うことにもなる。でも、その中途半端な別れが、クラスの感傷の波をせき止めるテトラポットの役目をしていた。結果、寂しいと素直に伝えられないこのクラスの雰囲気が、カケルは嫌いだった。放課後に自転車で会いに行けない距離にミカが引っ越す。その事実はカケルにとって、ミカが外国に引っ越すことと何ら変わりなかった。




 「ミカは放課後、いつもお母さんが車で迎えに来るじゃん。一緒に放課後残ってこの話しをするのは無理だよ。それより問題は俺らだよ。内緒であの場所に行って、更に宿題もやってなかったなんてお母さんにバレたら、俺はサッカーやめさせられる。ユウタだってピアノ教室やめさせられるかもしれない」ユウタはそれは嫌だなと小さく言った。ならはやく決めよう、とカケルが急かしてはみたが結局、どの宿題を終わらせるかの相談はまとまらず、各自できるものは全部やるという、妥協案がとられた。





 翌日の放課後、ユウタとカケルは行き慣れたミカの家のチャイムを鳴らし、ミカが支度を終えて出てくるのを待った。三分もせずミカは出てきた。カケルはミカのお母さんに二時間ほど僕の家で遊びます。と伝え、ミカの座る車いすの手押しハンドルを握り出発した。




 少し三人で歩ったところで、ミカが二人に今日の本当の予定は何なのかを聞いた。その問いにはユウタがいつもの大きな声で答えた。「今日はさ、昔よく遊んだ城跡で夕焼けを見に行こう」




 城跡へ続く坂道の道中で、3人は昔の話しをした。途中にある公園でユウタが犬に追いかけられた話、四年生の運動会のリレーでアンカーのカケルが転んで泣いた話、今年のミカから貰ったバレンタインチョコが苦すぎた話——




 しかし、将来の話は三人とも全くしなかった。





 城跡近くになると、傾斜を感じるようになった。3人会話は次第に少なくなり、ハンドリムを回すミカの両の手のひらは赤くなった。外気にさらされている指先と対照的に身体は重い熱を飼いだす。ユウタとカケルは手押しハンドルを片方ずつ握り、まっすぐ進むため身体を車いすの背もたれに近づけて身体全体で押した。ミカは腕に力を込めることによって、喉元まで出かかっている「ごめんね」という言葉を考えないようにしていた。




 城跡へ続く道は次第に砂利道へと変わった。今日の三人に限っていえばその砂利こそが最大の敵であった。ユウタとカケルは不格好な押し方となり、砂利で車いすが何度も滑りそうになった。その度にミカの身体が硬直する。その後姿を見るたびに二人はより一層身体を車いすの背もたれに近づけ、奥歯を噛みしめ押した。「ごめんな」という言葉は言ってはいけないと思った。


 

 「——今日はお母さんにきちんと許可をもらって、三人であの日の続きをしようよ」入学式が終わり、およそ一年ぶりに再会したミカは車いすを押すカケルと、隣にいるユウタの二人に元気よく告げた。




 城跡に行った——行こうとしたあの日、途中で三人は限界を迎えた。こんな筈じゃなかった。どうしようかと、うな垂れているときにミカの両親が迎えに来てくれた。どうしてこの場所が分かったのか話しを聞くと、昨日、担任の先生がユウタの机の上に置いてあった〝大作戦〟の紙を読んで不安に思い電話で連絡をしていたそうだ。

 




 ミカの両親はすべて知ったうえで、見守ることにしてくれたらしい。ミカはお父さんにおんぶされ、車いすはミカのお母さんが押し、近くの駐車場に停めてある車までゆっくりと歩いた。カケルとユウタは一番後ろを歩いた。その背中を見て感謝と悔しさ、申し訳なさが入り混じった涙が流れた。ミカのお父さんに二人も車に乗るように勧められたが、「今度は必ず三人で城跡で夕焼けを見に行こう」とミカと約束して、二人は歩いて帰った。




 
 ユウタは、あの日の約束を果すにはいい日だ、と言った。風は少し強いが、夕焼け空まではまだたっぷり時間がある。万が一途中で挫折しても、また三人で来る約束をすればいいとカケルは思った。




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