【インタビュー】期待やロマンを背負いながらも自由なサラブレッドを 河﨑秋子『銀色のステイヤー』
猟師と熊との死闘を描いた『ともぐい』で第170回直木賞を受賞した河﨑秋子さんが、新作で題材にしたのは競走馬。一頭の「ヤンチャ坊主」なサラブレッド・シルバーファーンをめぐり、生産牧場のスタッフや、調教師、騎手、馬主など、競走馬とともに生きる人々が描かれます。動物の命を見つめる姿勢は河﨑さんならでは。そして今作は読み心地のさわやかさにもご注目。本作にこめた思いをうかがいました。
取材・文=立花もも 写真=松本順子
――シルバーファーンという名のサラブレッドを中心に、競馬業界に生きる人々の姿を描き出した本作には、スポーツ青春小説のような読み心地もあり、実際にレースを観てみたくもなりました。河﨑さんはもともと、競馬がお好きだったのでしょうか。
河﨑:それが、もともとは全然知らなくて(笑)。私の地元は北海道の東部で、競走馬を育てている牧場もありましたけれど、ばんえい競馬用でどちらかというと力の強さを競い合う側面が強くて、速さを競い合う競馬レースというものを、観たことがなかったんです。ところが、デビュー作である『颶風の王』(現在、角川文庫)で、北海道の馬と人間たちの歴史を描いたところ、ありがたいことにJRA賞馬事文化賞(2015年度)をいただき、競馬場に呼んでいただく機会を得ました。そこではじめて生でレースを観たことで、おもしろさにめざめまして。競走馬をめぐる、生産者である牧場の現状や、厩舎のかたのお話を聞いていくうちに、人間と馬の情熱がからみあう業界そのものに心惹かれていったんです。
――〈夢とロマンで飯が食えるほど甘い業界ではない。しかし夢とロマンなしに成立する業界でもない〉という作中の表現が印象的でした。
河﨑:サラブレッド一頭あたりにつけられる価格は、ばんえい競馬に出場する馬や、牛など他の家畜とは桁が違うんです。となれば、馬の扱われ方も、向き合う意識も変わってくる。競馬といえばギャンブルのイメージが強いかと思いますが、先ほどおっしゃっていただいたようにスポーツでもあり、ビジネスでもあり、その根底には関わる人たちの信念がなければ成立しない。そこを書いてみたい、と思いました。
――ファンの熱量も、桁違いですもんね。
河﨑:やはり、名前がつくと愛着も湧きやすくなりますよね。サラブレッドのオークションセールを見ていると、父馬と母馬の名前もしっかり紹介されていて、産まれたばかりの馬だと母馬が一緒に競りの会場に登場したりする。自分がずっと応援していた馬が母親になった姿を見ると、やはり嬉しくなったりするんです。長く活躍している馬は、目につく機会も多いから、それだけで応援したくなりますし、何度も観ていると、ジョッキーや調教師の先生の顔ぶれもわかってくる。そうすると今度は、関わる人たちのことも、一緒に応援したくなる。
――今作では、シルバーファーンを産んだ牧場の従業員、調教師や騎手だけでなく、買い手となる馬主までが描かれます。すべてのホースマンがチームとして一体となっていく姿に、まさに応援したい気持ちになりました。
河﨑:ありがとうございます。シルバーファーンは、幻の三冠馬と呼ばれる父馬と、安定した実績のある母馬をもつサラブレッド。でも、だからといって最初から万人に求められる高級馬というわけでも、爆発的に勝ち進んでいく天才馬でもない、というのは最初から決めていました。思い入れの強い人もいるし、成長過程でどんどん期待をかけられていくようにはなるんだけれど、ファーン自身はそれをさっくり裏切ってくれるような、とても〈動物らしい〉存在であってほしいなと。サラブレッドの象徴としてではなく、自由な存在として描きたかったんです。
――まさにじゃじゃ馬。でも、そんなファーンをとりまく人たちも、だいぶアクが強くて好きでした。とくに、牧場の新米従業員で、ファーンをかわいがっていたアヤは、馬が好きすぎるあまり暴走しっぱなしで。
河﨑:競馬の世界を調べていくうち、ファンの馬に対する価値観はそれぞれであると、強く感じたんですよね。馬が幸せであることを第一に考える人もいれば、ギャンブルとしての側面を重視する人もいる。でもビジネスとして関わる以上は、まず馬を走らせ、お金を稼がせることを第一としなくてはいけないんです。走れなくなったら引退して種馬になったり、食用馬になることも。その命の行方を決める責任も、負い続けなくちゃいけない。馬を愛しているからこそ、アヤはその矛盾と向き合わなくてはいけないんですよね。
――理想ばかりを口にして、周囲に反発する若人はどんな業界にもいるものだと思いますが、アヤの未熟だけどまっすぐな言葉に大人たちがはっとさせられる、のではなく、その責任を重く問い直す存在として、アヤが描かれているところがよかったです。
河﨑:美しいけれど、重い産業なんですよ。美しさだけをきりとって楽しむことも可能ではあるんだけれど、一歩踏み込んで、その業界で生きようと思うなら、そうはいかない。これは、馬以外の畜産業でもいえることですね。育てた家畜の命の行方を決めなくてはならなくなったとき、あなたはその責任を負えるのか。文句を言うならまず負う覚悟をもってから、内側に立ってからにしなくてはいけない、ということも書きたかったのだと思います。
――アヤだけでなく、ファーンを担当する調教助手の鉄子(愛称)の成長もまた、本作では描かれていきますね。
河﨑:女性厩務員を出そうというのは最初から決めていました。お話を直接にうかがったことはないのですが、動物と接する仕事をするうえで、腕力の問題を含め、女性ならではの苦労というのは、どうしても発生すると思うんですよ。それをカバーするにはどうしたらいいか、というのを鉄子を通じて描きたいとは思いました。ただ一方で、女性であることを背負わせ過ぎたくないという思いも強くありました。身体的な問題で女性ジョッキーとなる夢を諦めた人で、本人もコンプレックスには感じている。けれど、そのことを描きすぎると、主人公がファーンではなく鉄子になってしまう気がしましたし、「女性だから」ということではなく、あくまで鉄子だからと感じてほしいんです。
――鉄子自身も、他者になにかを背負わせすぎることをよしとしない人ですよね。鉄子が業界に関わる根っこには、祖父のことが関係していて、ファーンもまた、親の名声を背負っている。そんな一人と一頭が、ともに戦い続けるなかで、自分らしさを確立していく過程もまた、本作の読みどころでした。
河﨑:競走馬は血統を重視されますし、それを支える人たちも一族でずっと業界に関わり続けていることが多いんですよね。だからきっと、歴史をさかのぼって、その重みにすがりつこうと思えば、いくらでもできると思うんです。でも、たとえば本作に登場する牧場長・俊二がファーンの母馬・ドラセナを大事にしているように、一度めざましい成績を出した血筋に頼りすぎて、繁殖牝馬の血統を更新せずにいると、いずれ立ち行かなくなる日もくると思うんです。伝統も過去も大事にすべきものだけど、すがりすぎないことによって得られる精神力というものが、競馬には必要なんじゃないかなと、一ファンとして感じていたことが鉄子とファーンに投影されたのかもしれません。
――前例に頼りすぎていると、コントロールのきかない現実に、いつ足をすくわれるかわからない、という姿勢は、河﨑さんの他の小説からも感じます。
河﨑:サラブレッドに限らず、動物というのは出産ひとつとっても思い通りにはいかないものですし、思いもかけぬタイミングで命を落としてしまうこともある。小説のなかではそういう不幸を排除することもできるけれど、人間にとって都合のいい現実だけを書くというのは、今作では馬に対して失礼にあたるし、やりたいとは思わないんですよね。だからこそファーンは、簡単に人の言うことを聞かないし、人間の期待やロマンを背負いながらもとらわれない、自由な存在でいてほしかったんです。
――レースに負ければ悔しがるし、ちゃんと鉄子たちとの信頼も育んでいるし、ああ、一緒に生きているんだな、と感じられる描写もよかったです。
河﨑:ウオッカという、かつてダービーを圧勝した伝説の牝馬が、二着になるとものすごく悔しがったらしいんですよ。そんなことあるんだ、と聞いたときは驚きましたが、ダービーを勝ち抜くほどの実力と、周囲を認識できる知性をもつ馬なら、そういうこともあるかもしれないとも思いました。サラブレッドは年間7000頭も生産されているのだから、もしかしたら同じような感情を抱く馬は、けっこういるんじゃないかなあ、と。
――そんなファーンが、最後に見せてくれたサプライズもよかったですね。
河﨑:あそこは、いちばん書きたかったところなので、たどりつけてよかったです。ホースマンは、すべての馬に等しく労力を費やすことはできても、心を捧げられるわけじゃない。そんな彼らが、シルバーファーンという、自分のなかにある何かを託したくなる存在と出会ったことで、この先何十年も……ファーンがいなくなったあともホースマンとして生き続けて行く推進力になるような物語になったらいいな、と思いながら書いていました。競馬をまったくご存知ない方、とくに興味もないよという方にも、そんな彼らの姿に触れて、スカッとした気分になっていただけたら嬉しいです。
◆発売時のリリース記事はこちら(書店員コメント有り)