私が観光から距離をおいているわけ
もともとは五島のアクティビティ不足を補完、いやいやイノベーションさせようと2007年にカヤックガイドを始めました。しかし2014年に本業の経営者となり、プライベートも環境が劇的に変わり、観光産業から距離を置くようになりました。もちろん、他にもいろんな考えにもとづいて離れたので、今回はそんな話を書きます。
まず、私は20年近く前から地元玉之浦町のカヌーなりイベントの手伝いをしてきました。おそらく、町外の人からも活動的な地域という印象があったかもしれません。しかし、やってる方からすると年々メンバーは減少し、高齢化して負担が増しています。なにより、いくらがんばっても町は悪くなる一方です。気分的にやさぐれました。「やらなきゃもっと悪くなる」という意見も理解はできます。でも、どうせ悪くなるんならいっそのこと手を引いて、結果を残せそうなことに手を出せば良いのでは?と思うのです。結局イベントに疲れ、バーンアウトを起こしてました。
そんななか、2017年4月の長崎新聞で前々から考えていたことが特集されていました。長崎市の田上市長が就任して10年の総括なのですが、ここに「やっぱりなー」と腑に落ちる現実がありました。記事によると、長崎市はいろんなイベントに恵まれたことにより観光客、消費額はほぼ右肩上がり続けています。しかし、一方で市外へ人口流出する若者は全国ワースト2位(当時、いまはワーストV2)という、危機的な反比例状態です。私は長崎の観光の調子は良いけど、街が良くなったという印象を持っている人は少ないと考えていました。
観光について、さらに定住人口1人当たりの年間消費額が約2泊する国内旅行者25人分という観光庁データがあるそうです。おどろきました。つまり、人口が1000人減れば25000人観光客を増やさなければ地域経済は縮小するのです。ただし、それだけ受け入れればハード(宿泊施設、交通インフラなど)も必要になるので簡単な話ではないです。さらに今回のコロナ禍のような10年に一度の危機が訪れた場合、かんたんにあおりをくらってしまうことを露呈しました。つまり産業として、不安定すぎるのです。
さらに将来、人口が確実に減る場所での過剰な設備投資は反対しています(MICEとか新幹線)。そういう意味で、観光は効率がおそろしく悪い人口減少対策だと思います。つまり、観光産業をがんばっても人口減少対策という結果につなげるには、間に複雑なプロセスやオペレーションが発生するためムダが多すぎるのです。そのため、観光を産業の主軸に置くのはよほどの資源と相乗効果がないとむずかしく、目標と戦略がミスマッチだと結果は出せないことを長崎市が実証したと捉えています。
五島も観光にせよ、人口減少対策にせよ、目標と戦略がどうよ?と思う部分は市側にも指摘してきましたが、いま現在は結果(人口の社会増)も出しているので、良い方向に向かっていると感じています。
では地元はどうかといえば、2005年に将来の自元玉之浦町の役に立つことをやろうと、目標設定をしてマーケティングし始めました。夏祭りでは集客昨年比200%、冬のイベントでは古民家夜神楽(古民家最多集客)など、結果を出しました。ただし、大事なのはどれだけ人が来たかよりも、こちらの仮説どおりに人が動いたか?であり、仮説と結果の差の分析です。
しかし冷静に見れば、あくまでもブランディング(まちのイメージづくり)とわずかな外貨獲得という成果だけです。『ときどき遊びに来て楽しい玉之浦』が私の理想や目標ではありません。人口減少(ここ最近緩やかになっています)、高齢化率、ともに五島で最悪な状況の玉之浦町に必要な理想像のひとつは、たとえば『仕事は町外でも暮らすなら玉之浦』、つまりベッドタウン化です。なので、本業においては「職場環境づくり」「育児支援」に取り組み、発信力を高めました。働きやすさと子育てのしやすさという打ち手は、本来ターゲットが限定され派手さはありません。しかし、戦略しだいで強いブランディングになると思ったのです。結果としてたくさんのIターン職員を玉之浦に迎えることができました。
今年には暮らし続けるための仕組みづくりにも挑戦したいと計画しています。
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