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【忠犬ハチ公の知られざる真実】実はお墓は渋谷以外の場所に?

皆さんがよくご存じの”忠犬ハチ公物語”。

「主人の帰りを渋谷駅前でずっと待ってた犬のお話しでしょ?」

そうです。
ですが、決して一言で表すことができない壮絶なハチの一生がありました。
大切な人にもう一度逢いたくて…
来る日も来る日も主人を探し続けたハチ。
そんなハチの一生を忘れないで欲しい。

命の限り、懸命に生きた”忠犬ハチ公”を。

【主人・上野氏との出会い】


ハチはオスの秋田犬として、秋田県の斎藤儀一宅に八頭の兄弟として生まれました。
その後、東京帝国大学農学部教授の上野英三郎氏から秋田犬の子犬を飼いたいと申し出があり、1924年(大正13年)1月14日、大館駅から列車で20時間かけて東京の上野氏宅へとやってきました。

上野英三郎氏

上野氏宅では、なんとハチの他にも、エスジョンという二頭の犬が飼われており、特にジョンはハチの面倒見がとても良かったそうです。
親兄弟と離れ、見知らぬ土地で始まったハチの新たな生活では、ジョンの存在がとても心強いものだったと思います。

そしてその頃から、玄関先や門前で上野氏を必ず見送り、時には渋谷駅まで迎えに行くこともありました。こうした事実から、ハチにとって上野氏が、どれほど大事な存在だったのかが分かります。
上野氏からたくさんの愛情をもらい、それに応えるように毎日見送りやお迎えなどでハチも想いを伝えていたのでしょう。

秋田犬”ハチ”

【突然の主人との別れ】


強い絆で結ばれた上野氏とハチ。

ですがその日々は悲しくも長くは続きませんでした。
残酷な運命が二人にのしかかります。

ハチを飼い始めて1年4か月後の1925年(大正14年)5月21日
教授会会議の後に、上野氏は脳溢血で倒れ、急死してしまいます。

大切な主人を失ったハチ。

食事が喉を通るわけもなく、三日間何も食べれない日々が続き、
そして悲しみの中に「もしかしたら…。」とわずかな希望を願い、
エスとジョンといつも通り上野氏をお迎えにと渋谷へ通い続けました。

運命とはなんと残酷なのでしょうか…。

【小林氏との新たな生活】


その後ハチは色々な人のもとに預けられましたが、上野氏を想う気持ちが強く、散歩中に渋谷方面へと向かってしまったり、近所の畑で走り回って作物をダメにしてしまったりなど様々な事があり、上野氏が亡くなってから2年余りが経った1927年(昭和2年)の秋に、上野氏宅の植木職人だった小林菊三郎氏のもとに預けられました。
小さい頃からハチを可愛がっていた小林氏でしたので、とてもとても大切に育てられました。

最後の主人”小林菊三郎氏とハチ”

ですが、この頃から渋谷駅で上野氏が帰宅していた時間に目撃されるようになります。小林氏からたくさんの愛情を受けても尚、上野氏の事を忘れることなど出来ない。大切な人にもう一度会いたいと願う気持ちは、日に日に強くなっていきます。渋谷駅で上野氏を待ち、食事の為に小林宅に帰る生活。そして必ず渋谷駅に向かう途中には、みんなで暮らした思い出の旧上野邸に立ち寄り、窓から中を覗き込んでいたそうです。

もしかしたら、いつもみたいにそこに居るかもしれない。
「ハチ、お帰り。」と笑ってくれるかもしれない。

そんな期待と現実の毎日だったのでしょうか…。

【虐待を受ける日々…】


渋谷駅前で上野氏を待つようになったハチは、今度は駅員や商人・通行人などから虐待を受けるようになり、子どもからもいたずらをされる日々でした。
「上野氏にもう一度会いたい…。」
それだけを願っているハチに、とてもつらい日々が襲います。

ですが、その事実を知った日本犬保存会初代会長”斎藤弘吉氏”が、1932年(昭和7年)、悲しい事実を新聞に投稿したところ、その記事が大きく取り上げられ、広く知られるようになりました。

斎藤弘吉氏の実際の投稿。

このきっかけからハチの運命は少しずつ変わっていきます。

新聞のおかげでひとたび有名になったハチは、皆からとても可愛がられるようになりました。その健気な姿に人々は感動し、渋谷駅前で寝泊まりを許し、ハチのために食べ物を持ってきてくれる人などもいました。

そして親しみを込めて、皆さんがよく知る【忠犬ハチ公】と呼ばれるようになりました。

【”忠犬ハチ公の銅像”を作ろう!!】


翌年の1933年(昭和8年)頃、ハチのその姿に感動を受けた彫刻家の安藤照(あんどう・てる)が、知り合いだった斎藤弘吉氏に、
「ハチ公の銅像を作りたい。」と希望を伝え、
その結果、日本犬保存会から作成依頼により、ハチ公の銅像を建設することが決まりました。

1934年(昭和9年)1月には銅像建設のための募金も始まり
同年3月10日には明治外苑の日本青年館で”銅像建設基金募集の夕”が開催され、ハチを一目見ようと約3,000人もの人が集まりました。
人々に感動を与え続けてくれたハチの影響力は、絶大ですね。

そして、1934年(昭和9年)4月21日渋谷駅前に「忠犬ハチ公像」が設置されました。
盛大に行われた銅像の除幕式にはハチ自身も参加し、300人もの人たちが参加しました。

初代”忠犬ハチ公像”

ですがこの時代は、日中戦争と太平戦争にかけての国内情勢から金属物資が不足したため、勅令にて金属類回収令が施工されました。
そして忠犬ハチ公像も例外にはならず、戦争の資源となるため撤去されることになり、1944年10月12日に盛大な出陣式が行われました。
日の丸の国旗をハチ公像の首に巻き付けて出陣していくハチ公像を、たくさんの人々が涙ながらに見守りました。
そして溶かされたハチ公像は、機関車の部品となって東海道を走ったのでした。

さらに1945年5月には、ハチ公像を建設してくれた安藤照氏が東京大空襲の犠牲になり死亡してしまいます。

戦争が引き起こした悲しみは、深く暗いものでした。

【終戦を迎えて…】


安藤照氏がこの世を去った3か月後の、
1945年8月15日に終戦を迎えました。

そして初代ハチ公像が実際に溶かされた日にちは、
まさかの終戦前日の8月14日でした。
こんな皮肉はあるでしょうか…。

ですがさらにその3年後の1948年(昭和23年)8月に、
安藤照氏の息子・安藤士氏が忠犬ハチ公像を新たに再建したのです!!
戦後まもなくで物資が不足している中での製作はとても大変だったと思います。ですがその中で、”平和と復興”を願い、新たな未来への想いをのて、
二代目”忠犬ハチ公像”を建設しました。

現・渋谷駅のハチ公像は”二代目忠犬ハチ公像”。

【ハチのお墓は一体どこ?】


”忠犬ハチ公”の銅像が建ってから1年後…
そして上野氏が亡くなってから約10年後の、
1935年(昭和10年)3月8日にハチは満11歳でこの世から去りました。

ハチにどうか安らかな眠りを。

ハチの死後渋谷駅では、たくさんの人々がハチの死を悼み、告別式や葬儀を執り行いました。

渋谷駅にはハチ公の死を悼む人たちがたくさん訪れた。

そしてハチのお墓は、上野氏と同じ青山霊園に葬られました。


Q.なぜ青山霊園だったのか?
A.上野氏のお墓は出身地の三重県にありましたが、上野博士の功績を称え、教え子たちによって、青山霊園にも分骨しお墓を建てたからです。

上野氏とハチのお墓。

上野氏のお墓の右隣に小さな祠があり、ここがハチのお墓です。

ハチのお墓。

上野氏のそばで、ようやく眠ることができたハチ。
上野氏が亡くなってから10年もの月日が流れました。
来る日も来る日も渋谷駅前で主人を待ち続けた日々。
その真実はとても悲しくつらいものでした。
ですがそれだけではなく、ハチを見守り支え続けた
たくさんの人々のあたたかな愛情をとても感じました。

”ハチ。上野氏のそばでいつまでも安らかに眠れますように。”


※ハチの体は剥製として東京・上野にある国立博物館に所蔵されています。

秋田犬(ハチ)と展示されている。

【実は、渋谷以外にもハチ公の銅像がある!?】


忠犬ハチ公の銅像。
実は渋谷以外にもあることを皆さんはご存じでしょうか?

忠犬ハチ公といえば”渋谷駅前”というイメージがありますが、

・ハチの出生地の”秋田県大館市の大館駅”
・上野氏の出身地である”三重県津市の久居駅”
・上野氏の功績を称え作られた”東京大学弥生キャンパス”

この3か所にも上野氏とハチの銅像があるのです。

では詳しく見ていきましょう!!

秋田県”大館駅”

ハチの故郷の秋田県大館市には、秋田犬やハチにまつわるモニュメントや銅像などが数多くあり、その中のいくつかをご紹介します。

まずは!大館駅構内には、”JRハチ公神社”があります。

なんとも可愛らしいハチ公神社。

そして駅の外には、渋谷駅と同じ姿の”忠犬ハチ公像”が建てられています。
ですがこちらの銅像をよく見ると、
渋谷のハチ公像は左耳が垂れていますが、大館駅のハチ公像は両耳が立っています
ハチは、人間や子犬に対しては決して牙を向けたり吠えたりしなかったそうですが、一度だけ野犬に噛みつかれ、それから左耳が垂れてしまったそうです。

渋谷駅のハチ公像と少し違う所がある!?

そして後ろには、またまたハチと秋田犬の銅像が。

”秋田犬群像”

三重県”久居駅”

上野氏の出身地である三重県津市で、2012年10月に、
久居駅東口に上野氏とハチが共に並んでいる銅像が建てられました。
お互いに見つめ合う素敵な銅像ですね。

”上野英三郎博士とハチ公像”

東京都”東京大学弥生キャンパス”

2015年3月8日”ハチ公没後80回目の命日”に、東京大学弥生キャンパス内に、上野氏とハチ公の銅像が建てられました。

この銅像は、”待っていたハチと上野博士が喜ぶところ、犬の純真さとそれを受けとめる人の素直な心”を表現されたそうです。
まさしく喜びが溢れ、心が温かくなる銅像です。

”上野博士と忠犬ハチ公像”

日本各地の上野氏とハチの絆の旅。
いかがだったでしょうか。

ハチが亡くなってから87年も経った現代ですが、
今もこんなにも世界中から愛され続けているハチ。

それは”深い愛情”と”絆”で繋がっていた上野氏とハチだからこそ、
たくさんの人々の心に感動をもたらしたのでしょう。

【大事な家族と共に眠る。】

今回の”忠犬ハチ公物語”のように、
大切なペットがいる方はとても多いと思います。

その大切なペットがもし亡くなってしまったら…

「人間と動物、でも同じ大事な家族。いつまでもそばにいたい。」
「今までありがとう、と感謝の想いを残したい。」
「ずっと一緒に生きてきたペットと同じお墓で眠りたい。」と考える方に、
グランディアメモリアル横浜では、ペットと一緒に眠れるお墓があります。

大切な家族といつまでも共に。
”その願い叶えることが出来ます”

最後までお読みいただき、ありがとうございます。
これからも引き続き記事を書いていきますので、ぜひ読んでみてくださいね。

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                   光とガラスの花壇墓地 花ごころ

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