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"寄り添う"って、なんだ。

今年も、春が来た。

僕の家に届いた合格通知。北大のキャンパスを歩いて、"憧れの場所"が"自分の場所"になった実感をかみしめたあの春から、1年が過ぎた。

僕がカコタムでの活動を始めたのは去年の5月なので、学習支援に携わりようやく1年が経つことになる。カコタムという場所で、担当した子どもたちに全力で寄り添った。そして自分という存在が何者なのかをたくさん教えてもらった。

今日は、僕が"寄り添える人"になろうとした話をさせてほしい。

寄り添うって、難しい

「自分、やっぱ人に寄り添うのが下手なんだな。」
大学に入学して2,3か月ほど経ったあるとき、僕はそんなことを思いはじめていた。

僕がカコタムと両立している塾講師バイト。
休み時間、子どもたちが大人に話しかけている。
バイトだけでなく、カコタムでも見かけるほほえましい光景。今日あったコト、楽しかったコト、何かを必死に伝えようとする子どものまなざし。でもそのまなざしの先に、僕はいつもいなかった。

子どもに寄り添うことが苦手だった。子どもとの距離を感じていた。
集団授業を終えた教室を出てひとり立ち尽くす自分は、あまりにも惨めに映って見えた。

会って間もない子どもたちを前に、自分も緊張していた。コミュニケーションもとれない人間が、子どもに何をしてやれるのか。何もしてやれない。
それでも頑張って、授業でウケそうな話題を集めてきては「学びはfunnyではなくてinterestingであるべきだ。」とか、頑ななことをつぶやいてボツにしたネタなら山ほどあった。

こんな不器用な考えをもっているので、誰とでも話せて自然と話題が盛り上がるカコタムの先輩メンバーには、いまでも心から尊敬してしまう。すごい。まだまだ自分にはできない…。

寄り添えないのは、若手だからなのか

気づけば中3の子たちは受験シーズンに突入していた。

カコタムでもバイト先でも、自分は若手も若手。
だから、子どもに寄り添うための苦労も、自分が大人になれるまではずっと続けていかなきゃいけないものだと思っていた。自分の未熟さを痛感した。

しかし、転機は、思っていたより早くおとずれた。

カコタムで中3生の学習サポートを繰り返していくうちに「この教科が苦手で、ここで不安を抱えている」といったように、子どもの不安を聞けるようになっていた。これが、僕の講師魂に火をつけた。というよりも、元受験生である自分が燃えないはずがなかった。

受験は不安との戦いである。カコタム歴や講師歴どうこう以前に、つい去年まで受験生だった自分だから、その不安が痛いほどよくわかる。訳あって2回も北大受験を経験した身だからなおさらのこと。受験生の不安に寄り添うことが、自分がいま一番できることなんじゃないか。

「これだ。」僕は思った。

若いからこそ、寄り添えることがある

それからというもの、中3生に話しかけては不安なコトはないか、聞いて回った。カコタムでもバイトでも。彼らもいろんな悩みを聞かせてくれた。
計算ミスがなおらない。
志望校に手が届くかわからない。
本番で失敗するかもしれない。

気づくと子どものほうから話しかけてくれることも増えていた。
「どんな言葉をかけてやれたらいいんだろう。」
受験生の頃の自分に問いかけ、受験生の目線で言葉を紡ぎだした。


バイトで、入試前最後の授業。よく一緒に話すようになっていた中3生が、帰り際に相談にのってほしいとのことだったので、少し仕事場に残った。受験への不安でヘドロのように固まった胸の内をすべて聞かせてくれた。

「ヘドロを少しでもここで溶かしてから帰っていけ」そう思って
若手講師定番の、心許ない「大丈夫だよ!」を必死に繰り返していた。

しかし驚いたことに、話し終わってもその子が帰ろうとしない。こんな僕と居てまさか落ち着くというのか。別になにをするでもなく、中学生ひとりと、大学生ひとりが、ただちょこんと椅子に座っていた。

行き場ない不安と、不確かな安心を、互いに等身大で分け合ったような気がした。ひとり立ち尽くしていた頃の孤独な自分には想像もできなかった、不思議な時間だった。

もっと不思議なことに、その頃カコタムでも同じような現象が起きていた。

不安をかかえる子どもを前に、何もしてやれないこっちも不安なのだが、根拠のない励ましだけはしないよう、その子の個性を全力で奮い立たせることに努めた。とはいえどうしても心許なさげだけど。

こうして受験生との日々が過ぎていった。

緊張の合格発表日。
合否報告が続々と届く。

カコタムが支えてきた中3生たちも、僕と一緒にちょこんと座ったあの子も、みなそれぞれが未来を掴んだ。奇跡が起こるのも必然的だった。彼らの努力っぷりは本当に、こちらが尊敬してしまうほどだった。

寄り添いかたって、それぞれだ

こうして見守ってきた中3生たちが卒業していった。
おこがましいことを言うと、彼らの卒業は、僕にとってはいままでの自分からの卒業でもあった。

僕にとって寄り添うことは、少なくとも"ウケを狙うこと"ではなかった。
きっと自分には自分だけの寄り添いかたがあって、それを模索するなかで知らず知らずのうちに誰かを少しだけ支えて、自分もまた支えられている。

勉強以外の話を自分から切り出すのは相変わらず苦手だが、いまでは子どもから声をかけてくれるようになった。いったい自分のなにが変わったのかはわからないけれど、僕から見える世界は明らかに変わった。自分にも寄り添える心があることを教えてもらった、そんな1年目だった。


春が来た。

僕にとって"小さな先生"とも呼べる彼らの
輝かしい高校生活を願って、やまない。


文・写真:いっくん(北海道大学経済学部2年)

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