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自叙伝 (1) 自分を愛せなかった私

人生は良いことばかりじゃない。

むしろ苦しいことの方が多い。以前の私はそう思っていた。

なぜ苦しみばかり私のところにやってくるのだろうと人生というものを恨んでいた。

だけども今私は人生は生きる価値がある素晴らしいものだと思っている。あきらめずに生きていれば素晴らしいと思える人生を歩めるようになる。私はそれを強く信じている。



私は小さい頃からずっと生きづらさを抱えて生きてきた。人の輪の中に馴染めなかった。かと言って元々の明るい性格からかいじめに合うこともほとんどなかった。ただ人の中で周りと違う自分に違和感を感じ、そのストレスで苦しんでいた。そして、人間関係で思い悩むことが本当に多かった。

かつての私は自分を愛すことができなかった。自分を愛せない人は人を愛することもできないという言葉を聞いたことがあるがそれは本当だと思う。過去の私は自分を愛すこともできなかったし、人を愛すこともできなかった。そして、自分を信じることもできなかったし、人を信じることもできなかった。

では、私は生まれた時から自分を愛せず、人を愛せず、自分を信じれず、人を信じれなかったのか。

私が一番最初に生きづらいと感じた記憶にあるのは小学生3、4年生のとき。小学生の記憶は実を言うと悲しく寂しいものが多い。本当はたくさんの楽しかった出来事もあるのだろうけどなぜかつらく悲しいものが記憶に残っている。

私の人生で一番初めに訪れた生きづらさは、祖母との関係だった。私には3つ上の姉がひとりいるが私は祖母にいつも姉と比べられて叱られることが多かった。これが今でも記憶から消えないつらいことだ。よく言われたことは勉強のことだった。姉と比べて勉強ができない。「あなたはダメな子だ、できない子だ」とよく言われたような気がする。私はどちらかと言うと勉強より運動の方が好きだった。かと言って学校での成績は決して悪い方ではなかった。ただ勉強においては私よりはるかに姉の方が優秀だったのだ。しかし、運動に関してははるかに私の方が優れていた。リレーの選手に選ばれて県大会に出場したり、健康優良児に選ばれたりと学校では目立つ存在だった。しかし、祖母にとってはそれは何の意味もないことだった。優秀な成績をとってこの家の立派な後継者になると言うのが重要だったのだと思う。

私は頑張っても頑張っても家の中では出来な子だった。学校ではみんなにすごいと言われるのに家で褒められた記憶があまりなかった。それには何だか不思議な感覚だった。本当は家でも褒められていたのかもしれない。だけども私には祖母にダメな人間だと言われたことだけが鮮明に記憶に残っている。あなたは落ち着きがない、勉強ができない、いたずらばかりする、お姉ちゃんを見習いなさい。私はダメな子なんだ。お姉ちゃんを見習わないとダメな子なんだ。このままの私じゃおばあちゃんに受け入れてもらえないんだ。今思うとそれが私の心の叫びでした。

ありのままの自分で生きちゃダメなんだ。

小学生の頃に植え付けられたこの考えはつい最近まで私を苦しめていました。どんなにすごいことを成し遂げても私は自分をダメな人間だと思った。私を褒める人に対しても「どうせ心の中ではそんなことを思ってないのに」と相手の言葉を受け取ることができなかった。それは本当に苦しい人間関係の中で生きてきた。

だけども今の私は人を信じることができている。もちろん100%ではないが人を信じてみよう、自分を信じてみようと思えるようになった。そして、自分を愛しいと思えるようになったし、出会う人にもそう思えるようになった。


自分を愛せなかった私がどうして自分を愛せるようになったのか。

最初のきっかけとなったのは筆文字だった。私が筆文字に出会ったのは2014年の頃だった。筆文字というのは筆ペンで文字をデザインして書くものだったり、自分の思いを書き出すものである。出会った当時の私はその魅力に取り憑かれ、夢中で筆文字の世界にのめり込んでいった。なぜそんなに筆文字にのめり込んでいったのか。私が出会った筆文字はありのままの自分で良かった。どんな自分でもダメな自分でも、そして素晴らしい自分でも良いという自由な考え方だった。あの頃の私にはその考え方がすんなりと受け入れられたのだ。何も信じられなかった自分が初めて信じられたものが筆文字だった。筆文字の世界なら私は楽でいられる、自由でいられると強烈に思ったのだ。

あれから7年、私の人生はものすごい勢いで変化を遂げた。生きづらい苦しい中を生きていた私が今は生きづらさを作り出すものは何かを考え、いかに生きやすさを見つけれるかを伝えている。そして、今、幸せだと感じる時間を多く過ごし、信じられる人の中で生きている。これまで歩んだきた道が本当に奇跡のように感じる。



今から14年前、私は自殺未遂を起こして病院のベッドで目ざめた。目覚めた時、見上げた天井には丸い電球が煌々と光っていて、そこがICU(集中治療室)のベッドだと気づいた。その頃、私は看護学校に通っている看護学生だったのでICUというのがどういう場所なのかを知っていた。

ICUで目覚めた私は体の幅くらいの小さなストレッチャーベッドに寝かせられていた。起き上がろうとも思わなかったが自分の体はどうも起き上がれる様子ではないことはわかった。天井で煌々と光る電球を見つめながら私が最初に思ったのは

死ねなかった、私は生き残ってしまったんだ。

絶望と落胆。おそらくこの時に私は心を閉ざして生きていくことを決めたのだ。今思うとそれはきっと自分の心を守るためだったのだろう。過去の自分の行動を振り返ってみるとすべては生き延びるためにとってきた行動だったのだ。人間とはそういう生きものだと私は思う。それは良いことも悪いこともどちらも自分のために行っている。




自叙伝②につづく

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