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心に「羨ましい」「許せない」を上手に飼えない人々

こんばんは。

心の中に「羨ましい」「許せない」を上手に飼えず"攻撃"に転換してしまう人がインターネットで人を傷つけいる様子を見ていたたまれない気持ちになったので私のアンチ・誹謗中傷への考え方を書くことにしました。

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これまで自覚したことはありませんでしたがおそらく私は人よりアンチ・誹謗中傷への耐性が強い。というより、理解のできない他人のフィードバックには自分なりに折り合いをつけてきたので一時的に凹むことはあっても自信を失ったことはないです。


1. この折り合いのつけ方が誰かの救いになったら嬉しい
2. 私自身気が滅入った時に読み返すものとして残したい

上記の理由からnoteを書くことにしました。
私が正しい、絶対こうに違いないというものでなく、「私はこう折り合いをつけているので生きやすいです」というものを公開したものなので解釈は自己責任でお願いします。

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何故誹謗中傷をするのか?

2つ種類があると考えていて、1つ目はいわゆる「僻み妬み」といわれるもの、そしてもう1つは「相手に復讐心を持たれている場合」です。

1つ目から。
「僻み」「嫉妬」という一言で済ませられるのですがもう一段階リアルに掘り下げると、「自分でも本来手に入れられるようなインパクトや評価を大したことのない人が手に入れていて不服」といった感情なのかなと思っています。(例:別にそんなにかわいくないのに~、よく見たらかっこよくないのに~、全然つまんないのに~)

その気持ちはわからなくもないですがこういった場合、相手がその評価に至るまでにした苦労や環境のちがいを想像できないまま自分と比較するという、「想像力を働かせない謙虚さの欠如」と「自己認識の甘さ」に大きな問題があるのではないかという印象です。

もしご指摘通りかわいくない・かっこよくない・賢くないとしても、評価が集まる以上何かしらの魅力で他人を魅了しているのでそれをしっかりと分析をすれば自分にはできない戦い方・結果の出し方だと気づくはずです。それに気づけばどうでもよくなるものなので誹謗中傷者にはその想像力を働かせる謙虚さがない、そして自分はどうすれば魅力を発揮できるかを考えるための自己認識が甘いので、真に受けるだけ・まともに向き合うだけエネルギーを浪費してしまうと考えています。

2つ目の「相手に復讐心を持たれている場合」ですが 自分が明らかに加害を加え復讐心を持たれているケースは人間関係の問題なので、意識的に悪意を向けたり、挑発をしたり、蔑んだりしなくても「攻撃された」と捉えられ復讐心を持たれているケースを指すことにします。

このような場合、「生きているだけで誹謗中傷者のコンプレックスを刺激した」「愛情が膨らんだ結果期待通りの愛が返って来ず憎悪に転換してしまった場合」などこちらがコントロールできないことが多いです。

なんらかの形で負の感情を刺激してしまったのなら申し訳ないけれど、「悲しい」を「悲しい」のまま心に置いておくことができれば他人を攻撃なんてしません。自分の「悲しい」を認めるのはとても辛く報われないことに感じる苦しさはわかりますが、「悲しい」を認められず他人を攻撃することで昇華させようとする人とどんな向き合い方をしても良い方向には向かないので徹底的に放置するのが最善だと思っています。

誰かを攻撃せずにはいられない人々

悲しいことに「誰かを攻撃せずにはいられない人」がこの世にはいます。なぜ誰かを攻撃せずにはいられないのか深く考えなくても予想はつきますが、言葉にしてみると「自分の弱さにひたむきに向き合う必要性にそこまで迫られていない時間的余裕のある人」「それゆえ自信がなく自信の穴を埋めようと他人に目が向いてしまう人」なんだと思います。

自信を得る過程はとても長く永遠に感じ誰でも苦しいです。それを他人を悪く言い下に見る(価値下げ)ことで自分は強いと錯覚するという安易で低俗な手段で他人の自信に傷をつけようとする人とは生きているステージが違うので一切気にしなくていいです。

まだ本当の意味でしっかり生きようとしていない人の言葉にしっかり生きようとしている私たちが傷つけられるのなんてもったいないのでミュートなりブロックなりで自分の視界を綺麗にしましょう。

その言葉に愛はあるか?

中には誹謗中傷でなく自分のためになる言葉もあるかもしれません。

そんな時は「その言葉に愛はあるか?」を考えてみてください。

「愛がある」と即答できるのならもう少しいただいた言葉を掘り下げて考えてみる、「ない」場合はただの悪意なので考えれば考えるほどこちらの健康が毒されます。考えるだけ無駄です。そして「わからない」場合も一旦保留で考えなくていいと思います。いつか「あれは愛だったんだ」とわかればその言葉の主も報われるし、わからなくても別に仕方ない。愛のある言葉をあげられる人は時に返って来ないこともあると理解しているはずなので大丈夫です。インターネットから浴びる全ての言葉に反応していても疲れてしまうので心に留める言葉は自分で選びたいなって気持ちで画面を見ています。

大体の誹謗中傷は「気に食わない」の言い換え

容姿・能力・育った環境等、多種多様でキリのないものを指摘されてもどうしようもないです。誹謗中傷者の目的は傷つけ自信を損なわせることにあるので本人たちも内容に対してそこまで執着はありません。「気に食わない」というメッセージだけ受け取り、内容は気にしないのが得策だと思います。

自分を大事にする気持ちが「気にしない力」を高める

自信があれば気にならなくなるというのはマッチョな考えで誰にでもできることではないので言葉にしたくないのですが、自分を大事にすると気にならなくなるというのは健康的で時間をそこまでかけなくてもできるようになる考え方なのでおすすめしたいです。

健康的な体を目指すのならジャンクフードは避け栄養バランスのいい食事を適量食べると思うのですが、これは心にも言えることで。心に優しい情報や言葉だけを摂取するよう心掛けないとすぐに不健康になってしまいます。自分を大切にしたいから自分の心がマイナスへ動く情報を見ないようにしてあげる、その時間やエネルギーを使って興味のあることや目標に向かって何かしてみるといった心掛けが自分の「気にしない力」を高め健康な心身を作ってくれると信じています。

多少よくない感情が湧いても仕方ない

とはいえ、誹謗中傷者でない私たちも人間なので誹謗中傷に対してよくない感情が脊髄反射で湧いてしまうことは自然です。私は気が強いので死ぬほど溢れてきますが絶対に自分の心だけに留めて言葉にはしません(言葉にしたら悪口になってしまうので)。
無理に正しく綺麗であろうとすると息苦しくなってしまうので自分の汚い感情は認める、ただ絶対に出さないのが生きやすいインターネットの使い方だと思っています。

最後に

とはいえストレスな言葉が常に降ってくる可能性がある状態や何をしても誰かに何かを言われるかもしれない状態はいくら気にしないよう割り切っても心が休まりません。人生をやめたら戻ってくることはできませんが、インターネットは何度やめても戻ってこれるのでインターネットから離れてみるのも手です。アプリをアンインストールするのでもアカウントを削除するのでもケータイを持たずにお出掛けをするのでもなんでもよくていつだってインターネットの世界なんて距離を取れると思えることが心の余裕に繋がって良いと思います。
どうか思い詰める人が少しでも救われますように。

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