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私はずっとプリズム的なものが好きだな

仕事帰り、ステージに満月の浮かぶ『青山月見ル君想フ』に、応援しているシンガーソングライターのライブを観に行った。

すっごい良かったな、、
たった三年ほどで、両手で収まるくらいの数のライブしか見たことがないけれど、あぁ変わられたんだなぁと思った。
もちろん素敵な意味で。

はじめてライブを見たのは、高円寺の駅近のアーケード内?にある「無力無善寺」というライブハウスだった。
その時のことはかなりショーゲキ的に覚えている。
壁には何かのコトバが手書きで書かれた紙やお人形が所狭しと飾られた異空間で、小さなステージはすぐ目の前。ほとんどゼロ距離で彼は演者として弾き語りをしていた。
音楽はなんだか、なんだか心に残って、そしてライブの佇まいがとても印象的だった。それまでの私の人生では見たことがないくらい念入りにチミツにギターを鳴らしながら、彼はずっと、うっ、うっ、と苦虫を噛み潰したように顔をゆがめたり首をすくめたりして歌っていたのだ。

全部私のデタラメな肌感覚だけど、自分がつくった歌とか詞とかポーズに対してものすごくシラフで批評的な意識みたいなものを感じたというか。。
\おれは海賊王になる男だ!!/みたいな、有無を言わせないあの感じがなかった。むしろ、云って、省みて、うわぁと首をぶんぶんふって、それでもまたなんとか云って、を繰り返すような雰囲気があった。(インドア・陰のようなイメージのある音楽でも文学でも、性質として、海賊王になれそうなマッスグな目の人はいると思うのだ。)

それでも音楽はまばゆかった。音は幾つも重なって、其々の場所でひずんだりひかったりしていた。集まれば、プリズムだった。
聴けば聴くほど聴くようになって、いつの間にか彼の音楽は、私の一生大切なプレイリストの中に刻まれていたのだ。


…そんな彼は今日、前のめりに弾き語りをしていた。
曲ごとに楽器を変えていて、ピアノもギターもビートを打つノートpcも、情念が宿ったみたいに粛々と音楽を鳴らしていた。
かつて。
何より自分が、自分で自分に耐えられないことばかりだった。
そんな私のバイアスかかった瞳に映った、あの高円寺で見たような仕草がほとんどなくなってた。
ただもーれつに、音楽ひっさげて立っていたのだ。


彼の音楽。は、

もう優しくなれないかもしれない、

もう愛せないかもしれない、

もう頑張れないかもしれない、

もうムリかもしれない、

の、

「、」の部分。
答えとかじゃない音楽だなぁと私は思う。
そこには、涙とか眼差しとか「だけど」とかが無限に含まれる。

街に溢れるあっけなく言い切ってしまう詞に、
(コンキョないのにかんたんに言えないのにキレイにまとめて…)とひねくれてしまうものの、私だってそんなにわるい子じゃないよって思いたい。そんな心が受け取るのは、希望のコトバじゃなく、「、」の中に出来あがった、ぼんやりした希望みたいな色合いのイメージなのだ。
虹を映すプリズムみたいに、いろんな色の。


あー今日行ってよかった〜!ありがとう!

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