ニートはなぜ哲学的なのか?あるいは文学的なのか?(感想文)

今日ニートマガジンを知り、読んでみた。
こちらから見れます↓

で、ニートマガジンを読んで思ったのは「なんだこれ?おもしろ!!」である。

ニートマガジンに投稿してる方々はニートだ。しかし、哲学的で文学的な文章でなぜか読むとわくわくというか、肩の力が抜ける。

僕も無職で社会経験なしのニートさんだ。もちろん、稼ぎがないので、働けとは言われる(親に)今は、就労支援施設に通ってる。だからヒキニートではないかな。とはいえ、土日は1人で外出はしない。となると引きこもりか。

また僕は、社会不安障害を抱えている。おかげで人間関係を学び損ねた気がしている。今になって学んでいる最中だ。

そもそも、ニートという言葉が悪いような気もする。別に社会に対してあだで返しているのがいけないのか?いや、返しているわけではないか。基本的な義務さえ果たせばどんな生き方でもいいのではないか?基本的な義務とはたとえば、納税の義務である。食べ物を買うときに誰もが消費税を払っている。ニートだって生きている。生きている以上消費税は払うだろう。

最初にニートは、哲学的な思考が多いなと感じたと書いた。なぜそう感じたのだろう?元々哲学者のような考えることが好きな人が多かっただけ?あるいは、ニートは内向的な人が多いのか?それとも関係ない?・・・

といったふうに考えてみたが、どうも説得力のある答えが見つからない。ニートとは何かは延々と議論が続きそうな言葉だと思う。働かざるもの食うべからずという格言があるけど、働かない人ってそこまで悪くないだろう。むしろ本当は働いている人だって働きたい人と働きたくない人に分けることができると思う。働きたい人だって、死ぬまで働きたいと思っている人は稀だと思う。なぜなら働く理由がお金のためが大多数の理由になると思っているから。お金のためだけだと、どうしても先が続かない。〇〇だけと1つだけが働く理由になっている人は弱い。理由が弱いから、続かない。ここまでくると一種の哲学を考える必要が出てくるかな。

まぁ、まとまりがないが、ニートだからという理由はあまり意味がない。これからの時代には不要な考え方になるかもしれない。むしろニート的生き方が注目ときがきてもおかしくないと思う。

誰もがお金だけではなくて、好きだから、楽しいからという土台が必要。
そこにお金がくっついてくると思う。ニートが悪いといい続けている人ははたしてどれくらい充実した生活を送っているのか?

批判しているくらいなら、自分の生活、哲学をもう少し改めても別にバチは当たらないと思う。

感想というより、考えを書いてしまったが、僕はニートだからこそ読みたいと思ったし、ほかのニートさんはどのような文章を考えを持っているのかも知れる。

この出会いに感謝したい。

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