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学んだことを書くことはアウトプットではない

最近、学んだことをブログに書いたりYoutubeで発信したりすることがアウトプットと言われているらしい。
そう思っている人が多いとしたら、嘆かわしいことだ。

言葉の意味としては、間違っていないのかもしれない。たとえば本を読んで頭に知識を入れる行為をインプットと呼ぶならば、頭の中にあるものを何らかの形で外部に出す行為はアウトプットということになる。

でも、だとしたら、アウトプットはみんなが重要視するほど価値ある行為じゃない。

そんなのは、アウトプットじゃなくて、インプットの延長だ。

以前、学んだ知識を「その日のうちにアウトプットすると学んだことを忘れにくいよ」というアドバイスを見たことがある。
だとしたらそれは記憶定着の工夫(インプット)であって、アウトプットではない。

アウトプットというのは、実践だ。

セミナーで学んだ内容をブログに書くのはアウトプットではなくインプット。

勉強するときに、読んで覚えるタイプとか、書いて覚えるタイプみたいな話があるやん?

ブログに書くのは、書いて覚えているに過ぎない。思考実験をすればわかる。
もし書いた先がブログではなく紙だったら?
PCがネットにつながっておらず、ただメモ帳に書き溜めただけだったら?
それはアウトプットではなく、書いて覚えるタイプのインプットだ。

それなのに、同じ内容をブログに書いた途端、読者が現れるという理由でアウトプットになるなんていう主張は、真に受けないほうがいい。
楽して痩せるダイエットと同じで、お手軽なものには恐ろしいほど効果がない。

じゃあアウトプットは何かというと、学んだことを実践することだ。

営業セミナーに出席して面白い集客方法を学んできたなら、それをブログに書いて「今日もその日のうちにアウトプットしたぜ」って自己満するんじゃなくて、その日のうちにその集客方法を実践しよう。
それこそがアウトプットだ。

「残業しない爆速仕事術」を学んできたなら、それを同僚に語るのではなく、実際に毎月40時間している残業をゼロにすべく日々実践するのがアウトプットだ。

学んだことを語るのは楽しい。自分が物知りになったと錯覚できるし、周りにすごーいって褒められるかもしれない。労力も2ミリくらいしかかからない。楽ちんだ。

それに引き換え、学んだことを実践するのは苦しい。

本を読んだ直後には自分はすべてを知った気になるものだ。

しかし、実はそれが錯覚で、実際には何も理解できていないという現実、学ぶことと実践することの間にはこんなにグランドキャニオンがあるんかと突きつけられる現実、本を読んでる最中に味わったあのワクワク感はどこに行ったんだ?というナイアガラのような喪失感。

結果が出ないと、周りからは「なんか変わったことやってるで。」という珍獣を見るような目で見られる。

だが、だからこそ価値がある。効果がある。

方法論を語ったり、解説したりしても何も得られない。

さて、実を言うと、最近同僚の佐藤くんに絶望している。

同僚と数人で飲んできたのだが、彼が飲み会の場で、一切ボケないのに笑いの取り方について語り始めたのだ。

佐藤くんについては下の記事を読んでほしい。

違うよ佐藤くん。解説はアウトプットじゃないんだ。
スベるかもしれないリスクを負ってボケるのがアウトプットなんだよ。

安全圏から眺めていちゃダメなんだ。勇気を出して実践しないと。

僕は今、安全圏から傍観するだけだった佐藤くんが、笑いの解説をするという第二の逃げルートに進んでしまったことがとても悲しい。

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