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「にんげん、みんな怪我人」という考え方

「にんげん、みんな怪我人」と、ある人は言った


ひとは誰でも、多かれ少なかれ、大きい傷や小さい傷を抱えて生きている。

その傷は、他人から見えやすい場所にあったり、見えにくい場所にあったりする。


見えやすい場所に傷を負ったひとは、「目立つから嫌だ」「この傷が、見えにくい場所にあったら良かったのに」と思うかもしれない。

見えにくい場所に傷を負ったひとは、傷を負っていることに誰からも気づいてもらえず、「苦しい」「誰かに気づいてほしい」と思っているかもしれないね。

いつも寝てるひと ーわたしの場合

わたしは、「ナルコレプシー」という過眠症に長い間苦しんだ。

中学生のころから、社会人5年目くらいまで、約15年間。ナルコレプシー生活10年目にようやく病気の正体がわかったときは、悲しみや安堵、いろんな気持ちがぐちゃぐちゃになって、しくしく泣いたことを覚えている。

授業中だろうがテスト中であろうが会議中であろうが、お構いなしにいつも眠っているから、

「きっと周りから、怠け者だと思われている」と、人と会うのが怖いと感じる時期も長かった。

もしかすると、このひとは

自分で負ったことのない傷のことを想像するのは、とても難しいと思う。

でも、たとえば

誰かにちょっとムカついたり。

誰かのことをめんどくさいと感じたり。


そんなときには、「もしかするとこのひとは、見えないところにこんなケガを負っているのかもしれない」。

そう考えるだけで、そのひとに少しだけ優しい気持ちで向き合えるかもしれない。

「誰もが生きやすい世界」よりも、「誰もが抱える生きづらさに寄り添える世界」を

誰もが生きやすい世の中。うん、素敵。

でも、「みんなが、それぞれ他人の生きづらさにそっと寄り添える」世の中、それはそれでとても素敵なことだと思う。

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