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椎名誠さんの『遺言未満、』で“死に際”のお勉強。

「カロウト式」とは、墓石の中の骨壺を収める空間のこと。本書を読むまでそんなことも知らなかった浅学。

お寺もリアル空間。
年々お骨を預かるスペース確保が難しくなるのは自明の理。
大阪・天王寺にある「一心寺」では、数万人分のお骨を粉砕して布海苔で固めた等身大の「お骨佛」を作っているそうです。供養されるお骨が「お骨佛」になって日々拝まれている。
そんなのこともこの本で知りました。

ひとはいつか必ず死ぬのだと気付いたのは、たぶん、小学校の低学年の頃だった。
それは、もう晴天の霹靂!なんて言葉を知らなくても人間の儚さ、なんて言葉を思いつくはずもないが、怖くなってしばらくは寝ている間に死んでしまうのではないかと、布団の中で両の眼をつぶらないようずいぶん頑張っていましたが、いつも気が付けば朝なのでした。

中学、高校に通うようになって、青春のエネルギーの大半を女の子に持っていかれ、残り僅かで進路問題、部活などに悩むふり。
あの青天の霹靂も姿をひそめ、なんだか忙しかった四十代になり、あっという間に五十代を過ぎ、還暦、そして不良老人ジュニアとなった今、「死」はかなり身近で、これから進んでいく残りの道の道標、「機嫌良く歩いていけば必ず“消滅”できますからね」と諭してくれているような気がしている。

『遺言未満、』には、現在七十八歳になられる椎名さんがこれまで出かけて行った“世界の僻地”での死後の始末、お葬式の型が幾つも示されている。
心惹かれたのはモンゴルの「風葬」
子供の遺体を草原に置き去りにして、風の力とそこに生きる獣による処理を前提とした始末は、幼児の魂を草原に吹きわたる永遠の風に還す儀式なのか。

チベットの「鳥葬」は、寺院の裏にある平らな岩の上に遺体を横たえるのだが、親族、友人などの目の前で、遺体が解体処理される。集まってきた鳥たちが何も残さず食べ尽くせるように肉はもちろん、骨という骨、頭蓋骨まで細かく砕くという。死後の魂は鳥によって天空高く舞い上がる。

椎名さんも考えた。いろいろな死後の世界を垣間見て来たからこそ、一生懸命考えて「カロウト式」や「お骨佛」に行き着いた。

椎名さんご夫妻は、墓石の中を終の棲家にとは考えていないようで、散骨、それも海への散骨を体験談も交えて記されている。

2021年の3月12日、椎名さんが六十九歳、今のぼくの歳だった時に著した『ぼくがいま、死について思うこと』を借りてきて熟読した。
コロナ禍の真っ只中、ぼくら世代のラスボス、永遠のガキ大将も死に際について少しずつ考えているんだなぁ、と感慨した。

そして、2022年10月15日、本著『遺言未満、』を読了して、この世からどう消滅しようか少しずつだが具体的に考え始めている。
埋め火がゆっくりと熾るように、あの少年の日の“青天の霹靂”がよみがえり、それがあまりいやな情感ではないことにちょっと驚いている。
超新星爆発に産んでもらい、炭素にもどって大宇宙に還っていく。
そんな風に夢想しながらの午睡前。

#読書の秋2022


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