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『シェークスピア&カンパニー書店の優しき日々』は、旅人を無料で泊めてくれるパリの本屋のお話。

“見知らぬ人に冷たくするな 変装した天使かもしれないから” 店の壁にそう書いてあるらしい。

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行ったことは無くても名前を聞いたり、目にしたりすると、妙にこころ騒ぐ本屋がある。 んっ、行ったことが無いから余計にそうなるんだろうか。

アルジェリア、シャラ通りの「真の富」書店。
ミシュレ通り十八番地の「岸辺(リヴァージュ)」書店。
そして「シェークスピア&カンパニー書店」
妄想の旅人は時空を超えて、林立する書棚に差し込む午後の日差しにキラキラ散り舞う埃の中で、何時間も、何日も分厚い本を抱えて固い木製の椅子にすわり続ける。

キャパやヘミングウェイのスペイン内戦。三万人のアルジェリア人デモとパリ警察署長・ポポン。レジスタンスと自由フランス。ディエンビエンフーの敗走。チェ・ゲバラと毛沢東のイコンを掲げた五月革命…。それらがぼくの頭の中にあるパリの街だ。
そしてこの本屋も。

「シェークスピア&カンパニー書店」という店名は、1919年、アメリカ人のシルヴィア・ビーチがデュプイトラン通り8番地に開業し、1941年に閉店した古書店兼貸本屋の名前だった。
現存する「シェークスピア&カンパニー書店」は、1962年ビーチが亡くなったのを機に友人だったジョージ・ホイットマンが蔵書を買い取り、店名も譲り受け、すでに開業していた書店「レ・ミストラル」を「シェークスピア&カンパニー書店」と改名したもので、ノートルダム寺院を眺望するビュシュリー通り37番地にある。現在は、ジョージ・ホイットマンの娘、シルヴィア・ホイットマンが経営しているが、本書はジョージの時代が主な舞台となっている。

手持ちが乏しい旅人にとって“無料で店に泊めてくれる”この古い本屋は駆け込み寺的な存在だっただろう。
著者のジェレミー・マーサーもこの本屋に救われた旅人のひとりだ。
カナダで犯罪記者をしていて、犯罪の暴露本出版が原因でオタワに居られなくなりパリにやって来た。まあ、逃げてきた。
ジョージに気に入られて、深く交わった、たった数か月のメモワール。
たった!と思ったがこのじいさんとの数か月はゆうに数年分に相当するだろうから数か月で旅立って正解だろう。

シルヴィア・ビーチの「シェークスピア&カンパニー書店」の常連には、アーネスト・ヘミングウェイ、スコット・フィッツジェラルド、マン・レイ、ジェイムズ・ジョイスと言った錚々たる顔ぶれが揃っていたが、ジョージ・ホイットマン時代になってからも、ヘンリー・ミラー、アナイス・ニン、アラン・ギンズバーグ、ウイリアム・バロウズなど多くの作家や芸術家が入り浸っていた。                   
錚々たる常連たちだが、彼らよりも店主ジョージ・ホイットマンと彼の本屋暮らしの方がはるかに面白い。
ジェレミー・マーサーによれば、ロマンティックな理想に生きる“寛容なすばらしい人”かと思えば、まわりの人々に理不尽な癇癪をぶっつける“やっかいな気分屋”でもあったらしい。

ジョージ・ホイットマンは、1913年、ニュージャージー州で科学誌の編集、執筆に携わっていた父親と、信仰心あつい母親の長男として生まれた。
ジョージが15歳の高校生の時、世界は大恐慌に見舞われた。多くの大人たちが財産を失い、無職となってさ迷う姿を見て社会主義に関心を持つようになる。
その後、ボストン大学でジャーナリズムを学ぶのだが、1933年「大学での一年目」と題するエッセイでキリスト教と資本主義を否定し、“僕はラディカルにー社会主義者、無神論者、平和主義者になったのだ”と書いている。

「シェークスピア&カンパニー書店」を“書店に見せかけた社会主義者のユートピア”と称していたジョージは、ヨーロッパに立ち寄った反体制活動家や、作家たちに宿を提供し、「パリ自由大学」という連続講義を開き、ヴェトナム戦争への抗議デモを長年主催している。1968年の五月革命の際には、学生たちを本の間にかくまったという。

ジョージは大学を出て、カリフォニアからメキシコを抜け、ジャングルで死にかけ、パナマでは運河の建設現場で発破係として働いた。そのころ「僕はコミュニストです。この先ずっと、徹頭徹尾、紛うことなくコミュニストでありつづけるでしょう」と言い放っている。
パリに移り住んだのも当時の米国が厳しい“赤狩り”など、コミュニストにとっては住みにくい国であったことも関係しているだろう。

書店に泊まりたいと希望するものたちには、これまでの来し方、ジョージ曰く“自伝”を提出させるのがルールだったようだ。
そして、彼らの秘めた才能を読み取り、常に励ましていたようだ。
文無しで、宿無し。自分がいったい何者なのか証明出来ずに流れついた者たち。
一体どこへ向かって流れて行けばいいのかも見つけられずにいる者たちにとって、「シェークスピア&カンパニー書店」は、やはり、取り敢えず駆け込めるシェルターだったろう。

そんな若者の中には命の危険から逃れてきたものもいた。
ニックはユーゴスラビアからの脱走兵だった。
上官に「前線へ出たくない」と言ったばっかりに、探知機無しで地雷を除去する、運次第では生き残れるような作業を割り当てられて、隙を見て脱走してきた若者だった。

しかし、彼らはしぶとい。文無しのジェレミーに付け込んで“法律に触れない”儲け仕事があると。
パリのFNACという大型百貨店は、その頃まだ中央コンピューターを導入しておらず、商品の価格設定を各店舗が独自に行っていた。ニックがジェレミーにやらせたのは、CDを安く売っている店舗で数枚買ってきて、定価で売っている店舗で返品してその差額で儲けるというごく単純なやり方だが、ポイントは返品の際の言い訳だ。それでニックは口の立つジェレミーを誘ったのだ。

時々、こんなことも起こる。                     著者の着古したシャツと寄宿している女の子の日記が無くなったことがあった。 盗んだのはジョージ。
シャツはよく判らないが、女の子の日記を盗んだのは、女の子の気持ちが知りたくて仕方がなかったからだと著者に告白している。
妙なじいさんである。
86歳の時には、20歳の女の子に恋をして結婚を申し込んでいる。女の子はジョージが好きだったからと快諾し、ジョージと同じ部屋で、同じベッドで暮らしている。


ジェレミー・マーサーが寄宿を始めたのは、あの空騒ぎのミレニアム、2000年初頭のこと。
前述したが、彼が居たのは数か月のこと。人生にとって時計が周回した回数など何の意味もないのかもしれない。                 その時間を確かに生きていたならだが。


YouTubeを検索すると、ジョージや「シェークスピア&カンパニー書店」の動画を見ることができる。                      なるほど曲者。                           女の子が魅かれるのも解る気がする。
文庫本も出ているらしい。

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