『カモメに飛ぶことを教えた猫』の著者は、三人の息子になにを伝えたかったのだろう。
書評には“愛と感動と勇気の世界的ベストセラー”、劇団四季の新作ファミリーミュージカルと記されています。
そんなこととはつゆ知らず、タイトルにひかれてテンポよく、気持ちよく読了しました。
著者ルイス・セプルベダは、悪名高き独裁者・ピノチェトに二年半も投獄されていたチリ人作家だが、2020年に新型コロナ感染によってスペインで亡くなられています。
本作は、ドイツ在住のころに執筆されたようです。
プロフィールにピノチェトの名を見つけたとき、ああ、またかと思ってしまった。
先日、ウクライナの国民的作家、アンドレイ・クルコフの『ペンギンの憂鬱』を紹介したばかりだというのに、お父さんが三人の子どものために書いた“愛と感動と勇気”の物語だというのに、ぼくはまた独裁者と出会ってしまった。
それは、もう、この世界に生きているかぎり仕方がないことなのか、それはそれとして、そこらにほっぽっといて本作の話をしましょう 。
この本に住み暮らしている猫たちはエルベ川河口のハンブルグ港を縄張りにしています。
渡りをはじめたカモメの大群は毎年港にやって来て、これからの長い旅路を前に、イワシやイカをたくさん食べるため海に潜ります。
その中の一羽、ケンガ―というメスのカモメが群れに取り残されます。おまけに港に流れ出た重油にまみれて瀕死の状態です。
ケンガ―は最後の力を振り絞って街に向かって飛んでいきます。
そして、卵をひとつ産み力尽きます。
ケンガ―の卵を託されたのが、太った真っ黒な猫“ゾルバ”。
こいつがなかなか肝のすわった腕っこき猫で、あちこち動き回るヒナを狙う野良猫や、港を縄張りにするネズミの襲撃を危機一髪阻止したりします。
ゾルバには、頼りになる仲間たちがいます。
港のレストランの主のような“大佐”とその“秘書”猫。
「ハリーの港のバザール」(世界各国の収集品を展示している雑貨屋さん風です)に「研究所」をもっている“博士”。
“向かい風”というちょっと粋な名前の猫は浚渫船のマスコット。
カモメのヒナは<幸運な者>という意味の“フォルトゥナータ”と名付けられ、まるでゾルバたちの娘のように育てられます。
やがて、フォルトゥナータにも飛び立つ日がやってきます。
しかし、フォルトゥナータは飛び方を知りません。
フォルトゥナータを空へ帰してやるには、猫族のあの掟を破るしかありません。
祖国を追われ、世界各地を巡り、コロナ禍に倒れた著者が、三人の子供たちに、この本を手に取る読者に伝えたかったのは、今、この瞬間に起こっている不条理な争い、惨劇から目を逸らさず、解決への手がかりを諦めずに手探る“努力”と、断絶をいっしょに乗り越えていく“友情”と、最後には、このかけがえのない世界を取り戻し、独裁者、破壊者に“勝利”する日がくることを信じることだったのでは、と考えたりするのです。
ゾルバたちが破ろうとしている掟とは人間にしゃべりかけることでした。
それは猫族にとって大変リスクのあることで、長いこと固く守られてきたのでした。
それに、人間ならだれでも良い訳ではありませんから大変です。
彼らが選んだのはいつも詩のことばかり考えている若い詩人でした。
掟は破られ、詩人の助けによってフォルトゥナータは大空へ舞い上がります。
詩人がゾルバに人間の言葉をしゃべれるのか!と聞きました。
ゾルバは言います。
”しゃべっているのではなく、人間の言葉で鳴いている”のだと。
やつらの、なんと誇り高きことか。
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