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カズオ・イシグロが応えて云った。「なるほど。おもしろい話ですね。記憶は死に対する部分的な勝利といえますね」

生物学者、福岡伸一さんから「絶え間なく合成と分解を繰り返し、一年もたてば物質的には別人になっている人間において、細胞と細胞の神経回路が保たれていれば、記憶は保存されうる」と聞かされた時のカズオ・イシグロさんの言葉です。

彼の著作の多くが“記憶”をテーマに執筆されることを思うと、なんだか微笑ましいというか、そうだよなぁ、“部分的な勝利”ってうなずけるなぁ、と思ってしまった。

これは福岡伸一さんの『福岡伸一、西田哲学を読む』のプロローグに出てくるエピソード。
ランダムにページを開いては、なるほどそうか!と解った気になったり、余計に解らなくなったりを繰り返している。

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佐藤正午さん『月の満ち欠け』を読了してすぐに「あ、これも記憶だ」と思った。

『月の満ち欠け』は「東京ステーションホテル」二階のカフェからはじまる。

映画では大泉洋さん演じる主人公の小山内堅は、娘の生まれ変わりだというるりという名前の小学生の女の子と、その母親で亡くなった娘の同級生に会うために八戸から東京へ出てきている。

小山内は大学時代、そして就職してからも首都圏での勤務を経験しているのだが、東京駅構内で何度もまごついてしまう。
埋もれてしまった記憶に刻まれた街、場所、空間。掘り起こしてみた記憶と目の前の現実の齟齬に戸惑う小山内。
ぼくは、このあたりで、まず、前のめりになる。こういうさりげない仕掛けが好み。

『月の満ち欠け』文庫版巻末の“解説ではない”解説(その意味は読んでのお楽しみ)に掲載されている伊坂幸太郎さんの“解説依頼”への返信に、帯の推薦文なんかにちょっとへそを曲げてこういう。

<佐藤正午さんは、ずっと前から今と同じく、「小説のセンスの塊」で「小説というマシンの持つ能力を、フルに使える作家」だったと思います。...>

小山内が「コーヒーを」と注文すると、女の子が「煎茶とどら焼きのセットにすればいいのに」、「どら焼き、嫌いじゃないもんね。あたし、見たことあるし、食べてるとこ。一緒に食べたことがあるね、家族三人で」と言い放つ。

小山内と、交通事故で無くなった妻と娘しか知り得ない日常の些末な記憶。
なぜ小学生の女の子が、初対面のおじさんに生意気に話しかけるのか。
小学生の女の子は本当に小学生なのか。
娘は亡くなった時すでに女子高生になっていた。
小山内も、ぼくも揺れはじめる。
生まれ変わり...生まれ変わり...本当にあるのだろうか。

瑠璃という名の人妻が、ある雨の日に純朴を絵に描いたような大学生の三角に出逢う。
これが生まれ変わり物語のはじまり。

結婚以来、妻として、女として接することの少なくなった夫。
日本の男の、高度成長期の男の典型のような夫。
著者が、瑠璃も玻璃も照らせば光る、の“瑠璃”と名付けた女は、世の混沌に紛れていても路傍の石ではないが、夫にはそれが見えていない。

おずおずと、不器用にふれあい、ひとつに溶け合ってゆく瑠璃と三角。
読み進めていくほどに感じる。
恋人というよりも、あらかじめ分けがたく繋がっていた魂と魂。

瑠璃は生まれ変わりを重ね、ある年齢に達するとよみがえる記憶を頼りに三角を探す。
小学生の女の子が、ひとり年齢を重ねていく大人の三角を一途に求める様子が切ない。
この国の倫理、常識に照らせば、瑠璃と三角は不倫の関係だが、そんなもの誰が決めたんだ!と言いたくなる純愛物語だと面映ゆくも思ってしまう。

ぼくは小学生の頃、毎夜のように布団に包まって涙を流していた。
「死んでしまえば、あとは無、何も残らない」と、要らぬお節介はものの本だったか、誰かに聞いたのか。
あまりに理不尽で、じゃあ、なんで生まれて来たんだよ、と本気で思っていた。

後年、それがプラトン以降、理性やロゴスに適ったわれわれ人間に理解できるもののみ考えていくべきだ!それ以外は、相手にしない、見なかったことにしようと、いう哲学的常識に則ったものだと知った。

西田幾太郎先生や福岡伸一さんは、「存在」と「無」の間に「と」がり、「あいだ」があると。
「存在」と「無」だけしかないのではなく、二つを包み込む、繋いでいる「あいだ」があるのではないかとおっしゃった。

うれしい限りでした。泣き虫の少年は、この偉大な哲学者と生物学者、そして伊坂幸太郎さんが、佐藤正午さんの直木賞受賞に触れて、<(小説の)正義が勝った!>と記されているように、『月の満ち欠け』という小説の正義に救われた。

生まれ変わりを信じた瑠璃は、「存在」から「死」という無にではなく「あわい」に身を投じたのではないか。

改修前の「東京ステーションホテル」には、小さな窓からプラットホームが見えるバーがあった。
ぼくは、バーボンソーダをやりながら、右へ、左へ出ていく電車を飽きもせず見ていた。
新装されたホテルにもバーがある。
過ぎ去った時間をガラスのショーケースに大切に収めたような空間。
そんなバーだといいな。

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