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『大きな字で書くこと』 三五年近く書き続け、四冊の著作もある。それでも村上春樹を一面でしか知らないのではないか、という発見があった、と加藤典洋は書き綴っている。

加藤典洋さんは、鋭い文芸評論家であった。

村上春樹さんの作品について、三五年、四冊、されど...というのはイギリス北部の町ニューキャッスルの村上春樹執筆四〇年を記念するシンポジウムでのことである。

主催者は、ニューキャッスル大学のギッテ・ハンセン准教授、早稲田大学に留学していた頃の加藤さんの教え子にあたる。
他には、翻訳者の柴田元幸さん、村上さんをアメリカで最初に売り出した敏腕編集者エルマー・ルークさん、各国の村上作品翻訳者が参加したそうだ。

シンポジウムでは、アート作品、映画上映など多彩な発表があり、加藤さんは、新鮮な驚き、発見をしたようだ。

その経験からか、本著にこう書いている。

「知っていることのなかに、知らないことを見つけることは、難しい。
知らないことは、決して探して見つかるものではないからだ。
だから、自分は何も知らない、と感じられる瞬間をもてる人は幸運である。
自分が小さく感じられるが、それは世界を大きく受け取る機会でもあるからだ。」

本著『大きな字で書くこと』には、加藤さんの幼少期から大学時代の挫折、若くして経験した論壇での孤立感などが包み隠さず、そう努力して記されている。
なかでも、戦時中「特高(特別警察)」として、我が国の悪法の最たるもののひとつ「治安維持法」に基づく任務を遂行した父親との激しい対立の経緯は、書いていてさぞ心痛い思いをされたことだろう。
加藤典洋という物書きは、どこまでも誠実なのだ。

浅学の徒であるぼくにとって、書物は諸刃の剣だ。
自分の無学をあらためて思い知らされると同時に、知ることの喜びを与えてくれる、日々をいっしょに歩いてくれる友なのだ。

たとえば、本書ではこんなことも教わった。

加藤さんが選考委員を務める「小林秀雄賞」受賞者で宗教学者の南直哉さんが授賞式の際に述べられたこと。

仏教にいう「無明」とは、ない観念をあると思ってしまうことから起こる錯誤なのだ、と。ふつうの人は暗がりのなかにいて、闇があると思う。けれそもそれは闇があるのではなく、光がないのだ。光が当たると闇は消える。

2019年に亡くなった、ぼくの五つ年上の文芸評論家の言葉を、もう一度、ここに記しておこう。

自分は何も知らない、と感じられる瞬間をもてる人は幸運である。
自分が小さく感じられるが、それは世界を大きく受け取る機会でもあるからだ。


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