ひとさじ
生きる理由のひとつだけれど、生き甲斐という程ではない。
アウェイも近場以外だと大阪に二度行ったのみで、
コロナがなくても積極的にアウェイに行く訳でもない。
行ってみたいなぁと思うけど、実際に行動までに至らない謂わば憧れレベルの願望。
ユニフォームやタオマフは毎年買うけれど、グッズやガチャよりかは、化粧品やネイル、美容鍼とか美容にお金をかけたい。
それでもホームゲームはほぼ行くし、雨でも風でも見に行く。コロナの前はシーズンチケットを買っていたし、2017年は確かホームゲームは皆勤だったと思う。
DAZNで何回も何回も試合を見直す。
楽しかった試合や好きな選手が出た試合は本当に何度も見る。
過去の試合のDVDもよく見返す。
だけど、エルゴラや雑誌を買うって訳でもない。
…と応援の熱量を計ろうと思ってみたが、わたしがガチャをやらずにグッズや雑誌、マッチデーを買わないのは物を増やしたくない性格によるものだと気づいた。
ちなみにマッチデープログラムはKindleで読むし、車屋先生のグッズは買う。みなさまからいただいた車屋先生のガチャなども大切に車屋先生ボックスに保管して、たまに眺めている。
憲剛さんについてのnoteにも書いたが、フロンターレに関わる感動的なエピソードなんてものは、わたしにはない。
ありふれた話で知人の誘いで等々力を訪れて、試合前のイベントや試合に魅了され、もっと応援したい、もっとこの空気感を味わいたい、と思っただけ。それが5年続いてるだけのこと。
けれど、フロンターレはわたしの叙情を揺さぶり刺激する。
そして、フロンターレのサポーターというアイデンティティーに心地好さを覚えて、それはユニフォームのように袖を通して嬉しくなるのである。
社会人になってから、子供の頃より1年の流れが感じにくくなった。
プライベートで季節のイベントに興味がない故、四季や月日の流れをただ眺めるだけで、恒例行事も特にある訳でない。
そんな中でフロンターレを応援していると非常に季節を感じられるのだ。
長く退屈なオフから期待溢れる新体制発表、キャンプが始まり、待ちに待ったシーズン開幕。冬から春にかけての胸の高まりは新学期を迎える子供ような気分を味わう。
疲れた仕事のあとにチームの練習動画を見て、楽しそうに練習する選手たちの姿や厳しくも優しく見守る監督、コーチの姿にも癒されるのだ。
この素敵な空気感の端の端のもっともっと端っこにだけれど、サポーターであるということで存在出来ている喜び。
片思いのようなものだけど、その意中の相手がチームであるから想う相手がたくさんいるようで楽しい。
ボールを蹴る姿の写真だけでも、インタビューの記事だけでも、わくわくと仕事で縮こまった心を膨らませてくれるのだ。
熱さも大切だし、感動的なエピソードも訴求力が高いけれど、これくらいのスタンスでも良いかなと思う。
わたしもサポーターになるまでは、サポーターはとても熱量が高くて個人個人も熱くのだろうと思っていた。
にわかとか思われるかもしれないけれどサッカー観戦は
生活を美味しいものにしてくれる一匙のようなもの。
それがわたしにとってのフロンターレ。
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