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神社考

神社というと見所たくさん。
社殿の造りや、鳥居の造り、御守り、御朱印、祭神、ご利益…
ですが、わたしが神社の好きなところは「場所の感覚」を楽しめるです。
おいおい、スピリチュアル興味ないんでないのか?とツッコミが入りそうですけど笑
昨今は神社はパワースポットとも言われますね。
パワースポットって訪れると元気をもらえたり、気持ちが落ち着いたりする場所ですよね。あとは運気が上がるなども。

場所の地形にもよりますが、神社は長い階段を登った丘や山にあることも多いです。
眺望が素晴らしいと、気分が良いですね。しかも長い階段を登った後で清々しさもある。
階段を登って上がった息が、登りきって落ち着くだけですけど、その場所が神社というだけで、呼吸だけでなく気持ちも落ち着くような錯覚を起こすのかもしれません。
長い息を吐ききって、伸びをしたりすると呼吸も深くなり自然とリラックス出来ますね。

後はお水がキレイな場所にも、神社はあったりします。清流は眺めたくなりますね。ボーッとしてると雑念を消えて、気持ちも落ち着きます。
キラキラと日光を反射する清らかな流れは、嫌なことや悩みも流してくれそうな暗示にかかる美しさですね。
神社と眺望はワンセット。気分を良くする相乗効果ですね。
後はこんなに科学が発達しても、神社好きなひとが絶えないのは周りに自然があるからという一因もあると思います。

明治神宮は新しい神社ですし、森林は人の手で作られたものですが、あんな大都会の中に鬱蒼とした森があって、中に入ると神聖な気分になりますね。そして、違う世界に迷い込んだような。
木漏れ日は美しいですし、葉音も涼やか。緑も目に優しい。
それが自然の力だと思います。

新幹線に乗っていて田園風景が続くなか、ポツンと緑がこんもりし鳥居がある…というのを目にします。
田んぼにあるので、田の神を祀っているかと思います。
田んぼに出現する小さな森は、ちょっとした異世界感を出してくれますね。稲作という人の作り出した叡知のひとつ、田んぼの中に森がある。森は自然の象徴です。

逆に神社でも、あまりに静かだったりして、ちょっとして恐怖感を抱く場所もありますよね。
迫り来る自然というか木々に圧倒されたり、人気が無さすぎて自然の中に1人取り残されるような怖さ。
それらも神社の特性のひとつと思います。
元々、古代は自然の中に神様がいるという信仰だったので、自然は幸福であり恐怖であります。畏敬対象でした。
過ごしやすい気候、豊かな食物である山の恵み海の恵み、心を揺らず風景を求め、地震や台風による自然災害に恐れをなし鎮まって欲しいという祈り。
神社には、その原風景があるような気がするのです。

そんな祈りが籠って、神社が建てられた。
後々、時代の変化と共に武運長久や商売繁盛や祈りも様々になりましたが。

話は戻り、神社にお参りに行っただけでも、何だか気持ちが楽になりますよね。
お参りに行ったから大丈夫、という思い込みなんですけど、安心できるなら思い込み万歳です。
なので、長い階段だったり、ちょっと交通の便の悪いところだったりしても、その苦労すらも、ご利益として還元されるような気持ちになる=苦労ばかりな毎日も良いことが訪れるのでは、という期待が生まれるのでしょうか。お百度参りも、そんな感じかな。自分の苦労を贄にする。

歴史の古い神社は神道が波及する前から、祈りの場としてあったも場所に、後に神社になることも多いです。
その場合、信仰の対象であった山=神様になることが多い。神奈備といい、神の降りる山。あとは御神木や神の降りる大きな巨石、磐座があったりする。
山なんて自然だらけで、静かで気持ちも落ち着きます。同時にやはり少しの恐怖があったりする。
ちなみに、森という木々に囲まれている中にあるシチュエーションはより、場所というか空間の認知を高める気がします。
人間て大空眺めても海眺めても広いと思いますが、建物の中に入った時の方が空間としての広さを感じるそうです。
その延々続きそうな木々の連なりの中に社がある、それが場所に対する感覚を更に高めているのかなとも思います。

お稲荷さんなんかは豊臣秀吉が信仰したとかで流行って、町中にも出来たりしてますけどね。そりゃ家の敷地内にもあるくらい。
御神体がお山や巨石だったのが、樹木になり、代わりに神器になり、そのレプリカとなる。
でも小さな稲荷社でも、お家の神棚でも手を合わせる、祈りを捧げるって心意気が好きです。

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