原始の目でサッカーを見る
恋なんぞに憧れるような乙女チックでませたような子供ではなかったので
異性である男の子に関心はなかった。
思春期に差し掛かって、やっと恋などに興味を示して
少女漫画を捲っては「男の子を好きになるって、どんな気持ちだろう?」と考えていた。
そんな小学五年生の時、習っていた英会話の帰り道。
大きな通りに面していない住宅に囲まれた小さな公園。そこは近道で自転車で突っ切って帰るのだが、その日は日も落ちて暗い中、街頭に照らされた公園で同じ年くらいの男の子が1人でボールを蹴っていた。
黙々とリフティングをする姿を眺めて、生まれて初めて異性を「かっこいいな」と思ったのだった。
そんな経緯も関係あってかないのか、サッカー観戦が好きである。
サッカー選手をかっこいいと思う。
今ではルールもわかるようになってきて、サッカーのゲーム自体を楽しめるようになってきた。
けれど、昔はオフサイドもわからないのに代表の試合を見て、サッカー選手はかっこいいな、と思っていた。
試合中の彼らは勝ちたい、負けたくないという一心で動く。
(実際はもっと複雑な心理状況だとは思うけれど)
汗に塗れアドレナリン大放出している姿を晒しまくって、闘争心をピッチにばら撒いている。全身全霊をフル稼働して必死に駆け回る姿。
とても魅力的でその決死の表情や、特殊能力といって過言ではない驚異的な身体能力に見惚れてしまう。
すごい技には男性も女性も感嘆する。だが、そこに異性としての「かっこいい」魅力を感じるのは女性だけ。
それってきっと原始の男性の姿に近いのかもしれない。
食料を得るために獲物を狙う。何人かで一組になって大きな獲物を倒すこともあっただろう。敵や災害から家族を守る為に必死の姿を晒しただろう。
だから、本能的に女性である自分はその遺伝子に刷り込まれた情報でサッカー選手を投影し、素敵であるとか魅力的であるとか反応するのかもしれない。
スポーツ観戦自体も好きなので女子のサッカーもたまに見る。
そうすると自分の到底出来ないスゴ技を繰り出す選手を見て、同じ女性なのにすごい!という憧れを抱く。なので、また違う目線なのだ。(こんな大義ぶって言わなくても、周知のことではあるが)
同性間の憧憬は「あんな風になってみたい」という同化や変貌願望的な気持ちが強いと思う。あんなシュート決めてみたい、あんな風にパスを出してみたいといったように。
男性的な目線で言えば、男性は情報収集が好きなことが多い。そのため戦術マニア、やたらに試合後分析したブログを記すのは、ほとんどが男性だ。たくさんのチームを知っている、たくさんの選手を知っている。たくさんのルールや戦術を知っている。そんな中で自分の一番好きなチーム、好きな選手というものに誇りを持つ。自分の「選んだ」自分の「好み」に誇る。きっと、それは自分自身を体現しているんだと思う。
視覚刺激に訴えるようなわかりやすい男性が女性や子供を守る、守る為に敵対するものに威嚇するための強さ、が見えにくくなった現代。
生活力は変化した。求めるものも変化した。
もともと男性よりも視覚刺激に反応しずらい女性ではあるものの
わかりやすく魅力を感じられるスポーツ選手を眺めて楽しむわたしを野生的だと笑ってくれて構わない。
普段の恋愛では感じられないドキドキも興奮もそこにある。
原始からの刷り込みなのか、初恋の記憶の成せる技なのかはわからないけれど。
さて、明日も試合だ。
ピッチで繰り広げられるゲームを読みながら、わたしは選手たちを原始の目でも眺めてしまうんだろう。
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