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『待宵月』

「お先に失礼します」
彼女が退勤の挨拶を事務所に投げかけた事で、定時が来ていた事に気がついた。
心配性の僕は、明日の午前中に企業プレゼン提案で使う資料を小一時間ほど眺めては言い回しを修正したり、ページの差し替えを繰り返していた。

「競合ひしめく案件なんだろ?取れたらラッキー!くらいの気持ちで挑めばいいんじゃね?」

となりの席からニヤリ顔で同僚は気楽に言う。
(こっちは取れるものはキチンと取って良い気分で週末を迎えたいんだよ!)
今日は2022年9月9日。
明日は2022年9月10日。中秋の名月であり、2年前の公開発表記事を見てからグーグルカレンダーに予定を記入していた大作映画の公開日である。
プレゼンに失敗して悲壮な気分でポップコーンをやけ食いしながらは観たくないのだ。

さっき定時退社した彼女は映画の鑑賞仲間だ。
とある好きな映画作品の話題で解釈意見が一致して話が盛り上がったが、よくよく話を聞いてみるとお互いよく観に行く映画のカテゴリがまったく異なっており、

「それはもったいない」
「それは人生損してる」

と言うことになり、3ヶ月に1本づつの劇場公開映画をプレゼンしあって一緒に観に行くことを始めた。
感動するくらい良い作品なら割り勘。
面白くない作品を紹介したらチケット代は奢り。
というペナルティ付きの真剣勝負である。
「良くても悔しいから正直に言わない可能性があるから」
と言う彼女の僕に対する信用度ゼロパーセントの都合により独り観の事後報告は許されず一緒に観るルールとなった。
前回は彼女のおすすめ映画プレゼン提案により家族愛の物語であったが、僕は序盤から号泣し終盤では嗚咽がでるほど座席を揺らして泣きまくるという完敗を喫したのである。
「4DX作品かと思った」
と勝ち誇った顔で笑う彼女を一生忘れないであろう。

スマホを取り出して明日の映画館の上映スケジュールから客席の埋まり具合をチェックした。
前日のこの夕方の時間で8割くらい埋まってる。土曜日の午後の回だから多くのお客さんが集まるだろう。
僕の好きなハリウッドアクション大作は劇場選びも大切である。
なるべく収容人数が多いの大スクリーンが良い。
満席ならば総じて観客の期待値の熱量が高い。
そして街なか駅チカの外国人の方が多いのも好きだ。彼らは大いに笑い、ここ一番の盛り上がりで歓声をあげ楽しく劇場を盛り上げる。
前にホラー映画を観てるときに隣の大柄な黒人さんにマックの紙袋を差し出された事があった。
どうやら気分が悪くなったらこれに吐け!って事らしい。
「いや大丈夫。僕は強いから」
と笑ってお断りしたらめっちゃ笑顔で「お互い頑張ろう」と友情が芽生えそうなくらいガッチリ握手を交わされた。
もしかするとホラー好きな人に連れてこられたホラー苦手な青年だったのかも知れぬ。

それはさておき、ブラウザのページを戻していたらポータル画面に明日の満月の記事と天気予報が並んでいた。
(明日の天気は曇り。確率80%…)
ちょっとお月見には分が悪そうだ。そう思うと急にちょい欠けでもお月さまを見たくなるものである。
せっかく中秋の名月と気づいたからにはもったいない。
明日行く映画館が入るビルの上層階に展望台があったな。下見を兼ねて寄ってみるか。
明日の不安を閉じ込めるようにノートパソコンをパタンと閉じる。
「おっ、諦めて帰るの?」
「明日を待ちきれずに落ち着かないから終わるわ」
「それはプレゼン?プライベート案件?」
「どっちも」
「大丈夫。上手くいくって」
「ははは、根拠の無い応援ありがとう!」
色々詰め込んでちょっと重たくなったカバンを肩にかけて席を立った。
「では…お先に失礼します!」



展望台への直通エレベーターの通過階の表示が重苦しく増えていく。41階到着までの数十秒をみんなが黙って液晶画面の数字を見つめている空間が少し滑稽で笑いたくなる。
と同時に恋人同士がギュギュっと詰まったカゴにボッチの僕が乗っていて、途中のコンビニで買った月見用のミニ3色団子がポケットの中で潰れないか心配している自分に異質感を感じたりもしてまた笑いがこみ上げてきた。
展望台へ到着すると一斉に吐き出され流れていく人の列に続いて歩みをすすめる。
先程のグループと距離を置きたくて一旦休憩所に足を運ぶ。
券売機でチケットを買いエスカレーターで44階の展望回廊へ登ると輝く街の夜景が視界いっぱいに広がってくる。
自然の風景では味わえない煌めきの美しさがある。

(やっぱり来てよかったな)

夜景の光の粒の一つ一つの中にそれぞれの営みがあり生きている人自体の輝きが包容されているのだから。
展望回廊のガラス側は等間隔に眺めを愉しむ人たちがひしめき合っている。僕は月の見える方角を求めて狭い通路を足早に進み賑わう回廊の角の少し広くなったスペースで消火栓の銀色の箱に持たれ掛かり混雑が緩くなるのを待つ。
手持ち無沙汰でポケットに突っ込んだ手が月見用に買った三色団子に触れる。

(みんな外の風景を見てるし食べちゃっても気づかれないか?)

陽が落ちるのが早くなったこの時期、すでに宵の月は輝きはじめていた。雲もなく満ちて金色に輝く小望月は中秋の名月に劣らず美しかった。
しばらく喧騒の中で見惚れていたが、団子を食す事を思い出し階下を見下ろす格好に身体をひねりながら桃色の団子を頬張った。

(うまし…)

その時、後ろから肩を叩かれた。
「敵に背中を向けちゃ駄目ですよ」

急に声をかけられ驚き飛び上がって振り返ると、そこには右手で拳銃の形を作り「フッ」と硝煙を吹き飛ばす真似をする彼女が居た。

「貴方は油断がコート着て歩いてるみたいなものですね。少しは注意して下さいな。」

コートは着ていない。
油断もしていない。
ただ団子を食っていただけである。

あ、あれ?
「どうして着いてきた!ここは教えてなかったはずだ!」
ん、この会話のセリフは…前回僕がプレゼンして不評を買った『幸運探偵3』のシリーズ一作目で主人公がピンチの場面で救助に来たパートナーの妻に言われるセリフである。

「あれ?つまんなかったって言ってたよね?」
「そんな事はどうでも良いんですよ。何してるんですか、こんなところで?」

彼女は半歩近づいて大げさに疑う眼で見上げたあと、クスリと笑った。

「さっき地下街を歩いてたら、お団子片手にコンビニから出てきた姿を見かけたんです。小腹を満たすのかと思ったらいつまでもプラプラ、ペンペン持ってるじゃないですか?」
「あぁ、そこから…」
「駅の改札に向かわないから『おや?目的地の方向が同じだぞ?』って思って尾行気分で着いてきてたんです。」
「まじか…」
「で、ここの展望台で飲み物買ってテーブル席でに飲んでたら横をスタスタ歩いて行っちゃったんですよ!」

楽しげに彼女は手にした飲み物をひと口飲んだ。

「あれ?どこで追い抜かれた?」
「たぶん…地下一階から直通エレベーターに乗りましたよね。そうすると41階に到着するんです。」
「うん。休憩所に寄ったから」
「私は地上一階から乗ったんで42階に直接着いたので…もしかすると同じエレベーターだったかも」
「そっか、そこで抜かれたのか…」

僕は退社間際に『明日は中秋の名月と知った事』と『明日の天気予報が曇り』で明日の名月が見られなくなりそうだったから今日見に来たことを説明した。
彼女は首を傾げて頬に指を当てながら言った。

「待宵 ですね」

「まつよい?」

聞き慣れない言葉にそのまま問いかけた。

「名月が好きすぎて、十五夜の曇りが心配だから前夜の月を観賞しておこう。って話です。」
「へぇーー」
「心配性ですね。」

彼女はくるりと向き直り、ちょうど2人が立ち去って空いた展望ガラス前のスペースに滑り込んだ。

「こういうの結構運がいいんですよ、わたし」
「いいねぇ、僕はいつまでも後ろから空くのをまって諦めちゃうタイプだから」
「ふふふっ、それは人生損してますねぇ」

自慢げに彼女は言った。

「でも、展望台に来る目的は同じだったの?」

そう問いかける僕に言った。

「待つ宵 ですよ。

『待つ宵に更けゆく鐘の声聞けばあかね別れの鳥はものかは』 

この心境です。
分かるかね?小望月くん!」

突然、歌を詠われたので少し動揺しつつ答えた。

「あぁ、あんまり新古今和歌集は詳しくなくて」
「…君は、正直に言わない可能性があるからなぁ」

彼女は半歩近づき大げさに疑う眼で見上げて、クスリと笑った。

本当は知っている。
待つ宵の小侍従の歌だ。
(逢えた日に迎える別れの朝を告げるニワトリの声もツラく悲しいけれど、その前日の逢えない待ちわびる時間に聞こえる夜を告げる鐘の音を聞く淋しい苦しさに比べれば…どうということのないですよ)
という和歌である。

待宵の月光は想いごとを照らし透かして見せてしまう効果があるらしい。

浮かぶ月を見つめながら彼女は嬉しそうに訊いてきた。

「小望月くん。待ちわびていたのは、名月かね?映画かね?それとも…」

僕は十四夜の美しい月に向けて両方の手のひらを向けた。
すべてはお見通しらしい。

「僕だって正直に本心を言う時ことありますよ。

…そのどちらも一緒に見れる人に逢えることです」

白い月の光と街の青い光は赤く染まった耳の色を覆い隠してくれるだろう。

「買った二色団子…食べます!?」
「それ、ぜったい三色だったよね?」

隠しきれない耳の色を持った彼女へ差し出した白い団子をかじられたあと、僕は最後の緑色の団子を口に放り込んだ。


※新古今和歌集 恋三 1191番 待宵の小侍従


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