ミニマリストと計画された偶発性理論
なんか海外ミステリーみたいなカッコいいタイトルになった。
さて、これまでにも何度かミニマリストについて考察を書いた。なぜ、私がミニマリストに関心を持つのか自問すると、彼らの発信することに共感する一方、多少の違和感を感じるからだ。
このもやもや感は何か。
ミニマリスト諸氏からの情報発信は、万事が数学の最適解を求めているようで、いわば計画経済的だ。
洗濯頻度から考えると、洋服は何枚所有が最適で、何ヶ月毎に総とっかえする。家電はこれとこれについては経済的に合理的だが、それ以外は不要である。消耗品の買いだめは不経済、よって何リットルの冷蔵庫は不要である。
ミニマリストのメッセージの中心は、合理性に基づいたムダの排除だ。物や情報や人脈のムダを排除し、あらかじめ選択肢を制限しておくことで、迷いが減る。結果、自己効力感が高まり、不安やストレスが和らぐ。
ここまではよくわかるのだが、もやもやするのは、「ムダ」の中にある大切なものを見落としはしないか、ということだ。
「ムダ」の重要性について説いたのが、「計画された偶発性理論」だ。簡単にいうと、予測可能ないつものルーティーンにだけ取り組んで、偶然生まれる新しい経験を排除してしまうと、せっかくの機会を逃すよ、ということだ。まあ、一見、ムダに見えたとしても好奇心持って色々やってみた方がよいよ、ということである。
ムダの肯定であり、ミニマリストの主張の逆といえる。
ひー@ヨガインストラクターさんの記事で勉強させていただいた。
ムダは排除すべきものか、肯定すべきものか。
どっちが正解ではなく、必要なのは閉める蛇口と開ける蛇口のメリハリだと思う。メリハリなく全開もよくないが、全閉も不健康だ。
もちろん、ミニマリスト系インフルエンサー達も普段から蛇口を閉めているばかりではない。
彼らの一日は動画で紹介されるシンプルなルーティーンだけで出来上がっている訳ではなく、日々、動画の企画、撮影、編集をしたり、noteを書いたり、他のミニマリストにアポ入れ取材したり、商品の企画で商談したりしている。その様な場面では、計画通りではないことや、「偶然」の出来事にも多々出くわすことであろう。
だが、それはミニマリストにとっての舞台裏であって、動画や書籍を通じては伝わってこない。
何が言いたいかというと、ミニマリスト系YouTuberが発信するムダ取りノウハウだけを無批判に真似しても活力を失ってしまうだけになるかもしれないよ、ということだ。
ルーティーンのムダを排除して出来た余裕で、どんな新しいムダをするのか、を同時に考えるべきだ。
もちろんYouTubeでもnoteでもよいが。
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