異語り 043 蝕
コトガタリ 043 ショク
こんばんは、2021年5月26日
今夜は皆既月食でした。我が家では家族で家の前から月食を見ようと待ち構えていたのですが、あいにくと空の下の方に雲がたまっていて肝心の皆既月食はほとんど見れませんでした。(その後の戻りゆく月は見れました)
『蝕』(ショク・むしばーむ)以外にも読み方はあるそうですが、日本ではほとんどこの二つの読み方を使っていると思います。
日食・月食のように『蝕』ではなく『食』を使う場合も多いので、普段はあまりみることもない文字じゃないかと思います。
でも時々、『食』ではなく、これは『蝕』だろうと感じる出来事もあります。
弟は地元の高校を卒業後、大阪のコンピューター系の学校に進学しました。
実家から通えないこともなかったのですが
「家賃は自分でなんとかするから一人暮らしがしたい」
と言い、家を出ました。
借りたアパートは線路近くの少々騒がしい物件。
「こういうところの方が騒いでも苦情が来にくいやろ」
という理由らしいです。
予想通りというか、予定通りだったのか、学校やバイト先でできた友達と飲み会や麻雀などで賑やかに暮らし始めました。
初めこそ新しい生活にテンションも上がり、色々な人達を家に呼んでいたそうです。でも半年もすればやってくるメンツもおなじみの顔ぶれが多くなってきます。
その中に田中さんという三つ上の男性がいました。
バイト先の先輩で、話や趣味も合い、なにより弟を可愛がってくれていたそうです。
田中先輩は実家住まいだったため、週三くらいのペースで弟の部屋に飲みに来ていました。
ところが冬に入る頃になるとパタリと家に来なくなりました。
弟は何か失礼なことをしてしまっただろうか? と不安に思いましたが、バイト中や日中の遊びなどには先輩の方から誘ってくれます。
「あれ? 嫌われてはいないのかな?」
少し寂しい気もしましたが、以前から弟の家に来ると帰りが深夜や翌朝になるので、
「親から何か言われたのかもしれない」と考えるようにしたそうです。
しかし先輩は元気がない日が増え、バイトも休みがちになっていきます。
「田中さん、最近どうしたんすかどっか体悪くしてはります?」
「おう、わかるかぁ? ……まぁ分かるわな」
田中さんは深い溜息をつき、ぼんやりと空を見上げたまんま。
「なんかあったんすか? 俺にできることやったら力になりますよ」
「そうかあ、ありがとうなぁ……でもなぁ」
再び溜息。
話を聞いているのかも微妙な雰囲気でもある。
どこまで突っ込んで聞いていいのか悩んだものの、このままほっとくのも嫌だったので
「久しぶりに家で飲みませんか?」
ちょっと強引に誘ってみた。
「これからか? うーん、そやなぁ」
長い沈黙の後
「ほないこか」
先輩が立ち上がった。
久しぶりの先輩の来訪にうかれ、酒とつまみを大量に買い込み部屋へ帰った。
酒も進み、程よく酔いが回った頃、先輩がぽつぽつと話し始めた。
「俺なぁ、おまえと同い年のいとこがおんねん。
そいつがな、最近ちょっとおかしいっちゅうかな……いや、元気なんやけどな」
ぐいっと酒をあおり大きく息を吐いた。
「毎日家に来よんねん」
「いとこさん、近所に住んではるんですね」
「そやねん。お前と一緒で4月から学校入るって、うちの近所のアパートに越してきよってん」
深刻な話をされるかと身構えていたが、ニコニコと話す先輩を見て徐々に力が抜けていった。
「最初はうちになんか寄り付きもせえへんかったくせにな、11月入ってからやたらと尋ねてくるようになったんよ」
さらに酒をあおる。
でも、先輩は弱いわけではないので気にはならなかった。
「しかも玄関からと違うて直接俺の部屋の窓叩きよんねん」
「先輩の部屋って1階なんすね、防犯とか気いつけんと襲われますよ?」
「こんなむさい男の所に泥棒も強盗もけえへんやろ」
ちゃんとボケにも返しがあった。
「でな、そのいとこが相談があるっちゅうから付き合ってんねんけど、なんや話聞いてても俺がアホやからかようわからへんのよな」
「……それは相談は口実で、ただ会いたいとか遊びたいだけなんちゃいますか?」
「それで毎晩か?! 勘弁してくれや。俺そっちの趣味はないぞ」
ゴロリとひっくり返った先輩を明るく笑い飛ばし、そのグラスにさらに酒をついだ。
先輩は床に転がったまんま
「ほんまだるいわ~ 最近あんま寝れてへんかったからな、このまま寝てまうかもしれん。すまんな」
「いや、そんなん気にせんとってください。何やったらもう寝てください」
「おお、ありがとう」
先輩は嬉しそうににこにこと酒を煽ると本当に床で寝始めた。
先輩が寝てしまうとやることもなくなってしまったので、弟もごそごそとベッドに潜り込む。
少し眠った後。
コンコン
微かな物音に目が覚めた。
体を起こし、寝ぼけた頭で部屋の中をうかがう。
床では相変わらず先輩が気持ちよさそうに寝息を立てていた。
コンコン
再びノックの音がする。
コンコン、コンコン
音は窓から聞こえてくる。
体がこわばった。
部屋は二階にある。
窓の外にはベランダも手すりも何もない。
「今の窓の外からやんな」
そう思いながらじっと様子を伺っていると
「なんや、また来たんか」
先輩の声がした
驚いて床を見ると、先輩はまだ寝息を立てている。
どうやら寝言らしい。
でもその後、先輩は何事かボソボソと聞き取れないほどの声で1時間ほど喋り続けた。
「ほなな」
そう言って先輩の手が微かに動く。
その後先輩はまた静かに寝息を立て始めた。
「寝言に返事を返しちゃいけない」
祖母からそういう話を聞いていたから黙って先輩の寝言を見守っていたが、その様子はまるで誰かと話し込んでいるかのようだった。
翌朝、先輩は目の下のクマをさらに濃くして目を覚ました。
「先輩、昨日の夜のこと覚えてはりますか?」
「おう、ありがとうな。早めに寝たからしっかり寝れたはずやねんけど、なんかやっぱまだだるいわ。病院いったほうがええかな」
「先輩夜中にずっと寝言言ったはったんですよ」
「そうなんか、そらすまんかったなぁ」
なんだか文句を言われたと勘違いしてそうなので慌てて昨夜の事を詳しく説明する。
「せやから、先輩が寝言言い始める前に家の窓を誰かが叩いたんですって」
「何言うてんねん、お前の部屋二階やないか」
「そうなんです! けど、その後から先輩なんかしゃべり始めはって」
「怖い話系は夜の方がええな」
「そうやなくて、まじで何かあるんちゃいます? 行くんやったら病院やのうて神社の方がええんとちゃいますか?」
「何で神社やねん。寝言とか、いびきも病院で診てもらうんやぞ」
「だって先輩、最初に「なんやコウスケまた来たんか」って言うたはりました」
先輩の顔がひきつった。
「コウスケっていとこさんですよね? いとこさんが来はるのって2時頃やったりしません?」
先輩は前を見据えたままじっと黙り込んでしまった。
何本か電車が通り過ぎていく。
先輩は唐突に大きく伸びをすると
「あー、なんかわかった気いするわ」
盛大に息を吐き出し、自分の膝に顔うずめてしまった。
「最近な、だんだんあいつの顔がどす黒く変わってるような気がしてたんや。最初は日焼けかな? 疲れとんのかな? ぐらいに思とったけど、……きっとそういうことなんやな」
「今日帰ったら親と一緒にあいつのアパート行ってくるわ」
先輩はそう言い残してフラフラと帰って行った。
1週間ぐらいバイトを休んだ後。
いつも通りの元気そうな先輩が出勤してきた。
その後どうなったのか直接聞く気にはなれなかったが、先輩が帰った数日後の新聞に、アパートで孤独死した男性の話が出ていたので、何となくそうなんだろうと思っているという。
虫の知らせというのは聞いたことがあったが、本人が知らせに来る話は初耳だった。親しい人がお迎えに来る話はあるけども……
まさか、そうだったのか?
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