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異語り 001 黄泉戸喫

コトガタリ 001 ヨモツヘグイ

怪談では飲食店などで水や料理が人数より多く運ばれてくるという話がある。
見えない何者かが同席している気味悪さを感じるが、稀に人数に対して数が足りないということもある。

これは四十年ほど前。母が友人と体験した話

私が小学生の頃、母は同じマンションに住む母親同士(今で言うママ友)で月に数回料理教室に通っていた。
料理教室とはいうが目的はママ友とのおしゃべりであり、教室が終わった後そのままどこかの店でおしゃべりするのが毎回のこととなっていた。

その日も友人の多田さんと高木さんと三人で目に入った喫茶店に入った。
すぐに水を運んできたウェイトレスに
「コーヒー3つね」と注文。
「はい」と店の奥から男性らしい声がした。

ウェイトレスは無言で頭を下げて引っ込んでいく。
「あらやだ、あの子、お水二つしか持ってきてないわ」
テーブルの上には母の前だけ水がなかった。

多田さんが店員さんを呼ぼうとするのを
「すぐに注文をしたから慌てはったんやろ。私はコーヒーだけでええよ」と止めた

たしかに注文はしたが、コーヒーが飲みたいわけでもお腹が空いているわけでもない。そのまま気にすることなくおしゃべりに花を咲かせる。

しばらくして先程のウエイトレスがコーヒーを運んできたが、3人ともおしゃべりに夢中になっていてよく見ていなかった。

ウェイトレスが下がった後しばらくしてから多田さんが気づいた
「ちょっとコーヒーまで一つ足りへんわ」
「いや、ほんまや」
またしても母の前だけ何も置かれていない。

「お盆に乗りきらへんかったんとちゃう」
そうは言ってみたが、待てど暮らせどウエイトレスは戻ってこない

「ちょっと怪談みたいやね」
高木さんが声をひそめて言いだした。

「店に入ったら出されたお水が多いとか」
「今は足りてへんやん」
高木さんがちらりと母を見ながら
「あんたここ来る前に死んでしもてんのとちゃう?」
「ええ、いつの間に! そんなんすぐに教えてや」

くだらない冗談を飛ばしていると、マスターがコーヒーを運んできた
「お待たせいたしました」
テーブルにコーヒーを置こうとしたマスターの顔が凍りつく
「こちらは一体」
「さっきお姉さんが持ってきてくれはったんやけどね一個足りへんのよ」

マスターの顔がさらに険しくなる。

「大変失礼いたしました。いれたてのこちらをどうぞ」
マスターは持ってきたコーヒーをテーブルに並べると、元からあった水とコーヒーを慌てて回収しはじめた。

多田さんの前の水のグラスに手を伸ばし、さらに顔色を悪くする
「こちらは既に口をつけられましたか?」

マスターが青白い顔でそう尋ねてきた。

「話すのに夢中で忘れてたわあ」高木さんはにっこり微笑んでいたが
「私、お水だけ飲んでしもたかも。これサービスちゃうの?」多田さんはちょっと気まずそうだ

「いえ、もちろんサービスです。あちらにございますので、セルフでお願いします」

マスターはもごもごと言いながら頭をさげると、蝋人形みたいな顔でそそくさと奥へ引っ込んでしまった。

「なんやったんやろ」
「あっちのコーヒーも置いてってくれたらええのに」
「後でトイレ近うなるで」
結局マスターのおかしな態度も笑い話のネタにして、そのままわいわいと話し込んだ。

小1時間程たった頃、そろそろ帰ろうかという流れになった

みんなでお会計に立つと奥から顔を出したマスターが母たちを見てハッとなった。

マスターはレジを打ちながら意を決したように多田さんに向き直ると
「あの、もし良ければこの後近所の神社の方にお参りに行かれませんか」と言い出した。

「もうそろそろ子供が帰ってくるし急いで帰らんとなぁ、すっかり長居してしもたから」
「ちょっと立ち寄るだけでいいと思うんです。何なら鳥居くぐるだけでも」
真剣に食い下がるマスターに疑問がわいたのだろう。高木さんが話にわりこんだ
「それはなんで?」

一瞬視線をそらしたマスターがぼそぼそと小声で話し始める。

「嘘やと思うかも知れんのですけど、これからお話しすることはどうか信じてください」マスターの小声に皆で耳をすませる。

「うちは私1人でやってますから店にウェイトレスなんていないんですよ。でもですね、時々ウエイトレスが運んできたっていう言わはるお客さんがいるんです。

そのウェイトレスが運んできたものを口にしはったお客さんには災いが起きるっていうか、良くないことがあるらしくて……。

それでですねお祓いってわけではないですけど、神社さんにお参りすると防げるっちゅうことなんですわ」

一瞬の沈黙。

信じていいもんか母が多田さんをうかがうと
「なんや、そんなことかいな」多田さんは拍子抜けしたみたいに笑いだした
「夏やし怪談のサービスもしてはるんやね」高木さんも楽しそうに笑っている

なんや、これも新手のサービスなんや。つられて口元がゆるんだ。

「いえ、ホンマになんか起こるんです。ちょっとでええんで神社によってってください」

多田さんはカラカラと楽しそうに笑うと
「ほしたら子供が帰ってきてから近所の神社にでも行ってくるわ。ありがとうね」
「絶対ですよ」
マスターの声に見送られてお店を出る。

そのまま最寄りの地下鉄へ向かった。
階段下からゴーッという電車の音とひんやりとした空気が上がってくる
舞いあがった砂ぼこりに目を細めると

「キャァーーー!」

隣を歩いていたはずの多田さんから悲鳴があがり、飛び込むようにして階段の下へ転げ落ちていった。

「ちょっと大丈夫、何してるん」
慌てて二人で駆け寄ると、多田さんはガタガタと震えながら顔をしかめていた

「いややわぁ、あんな話聞いたからから足ひっぱられた気がしてん」
母と高木さんは同時にその足を見た。
ストッキングが破れ膝から血がにじんでいる。

ひねったらしい足首が赤い四本の筋状に腫れ始めていた。

まるで誰かの手型のように。

母と高木さんは顔を見合わせると、急いで座り込んでいる多田さんを抱え起こし神社へ駆け込んだ。

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