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異語り 038 クレマチス

コトガタリ 038 クレマチス

植物を育てるのがうまい人は緑の指を持っている。
そんな話を友人のかすみから聞いたので
「じゃあ、私はすぐに枯らしちゃうから茶色の指だな」
と笑うと
「私も同じ、サボテンも枯らしたことあるし」
と、かすみもカラカラと楽しそうに笑い飛ばしてきた。

かすみは1人暮らしをはじめて最初にできた友人。
さっぱりとした性格で自分ともうまがあった。
家も近くて、よく一緒に出かけたりしていた。

ある時、駅前で植木市に出くわした。
茶色の指の持ち主である自分たちには縁のない催しだったが、かすみは一つの鉢の前で足を止めた。

自分の背の半分ほどもある支柱。それにくるくると蔓を這わせ、濃紫の大きな花を一輪つけたクレマチスだった。

店主が、「これからどんどん咲くよ」と声をかけてきた。
確かにまだ蕾がいっぱいついている。
「アパートなんだけど、鉢植えのままでも育ちますか?」
かすみが質問を返している(おいおい買う気か?)
「大丈夫、これは丈夫な品種だから」

こういうのを一目惚れというのだろうか?
かすみはろくすっぽ説明を聞かぬうちにそのクレマチスの鉢を抱え込んでいた。

まだ車どころか免許も持っていない貧乏学生だった自分達は、大きな鉢を抱えてふらふらと30分近くもかけて歩いてアパートへ帰ったと思う。

かすみのアパートにはベランダはなかったが、窓の外に柵がありプランターなどを置けるようになっていた。
かすみは部屋に着くと、早速西向きの窓の外にクレマチスをはめ込んだ。
鉢はまるで測ったかのようにぴったりと柵と窓の間に収まり、かすみはとても満足そうに微笑んだ。

それから2週間程ほど経つと、咲いていた花は散ってしまった。
株の大きさはそれほど育っていないらしい。
梅雨時でもあり、外に出していたせいか、水やりもあまりしていなかったらしい。

「何か勢いで買っちゃったけど、やっぱり自分には育てられないみたい」
かすみは大して気にもしない風に笑っていた。
見ればいくつかあったつぼみも前より小さく萎んでしまったように見える。
「アハハ、あの綺麗な花を自分で咲かせてみたかったのになぁ」

かすみはすっかり鉢への興味が薄れたらしく、よけいに放置気味になった。

さらに2週間ほど経った頃、興奮気味のかすみに部屋に招かれた。
「ずっと忘れてたんだけどさ、窓の外で何か動いてたの! で、見てみたらクレマチスがそだってて」
しょぼくれていたクレマチスは息を吹き返したみたいに青々とした葉を茂らせていた。

「夏になると育つみたい」
かすみは大喜びでお世話を再開させた。

しかし葉と一緒にツルも伸びる。
伸びた蔓は支柱に収まりきることもなく、アパートの柵に絡み始める。

「さすがに賃貸だからやばいと思って中に入れたんだよね」
さらに数日後、誘われ泊まりに来ていた自分にニコニコと説明してくれる。
鉢はは窓際の部屋の隅に置かれ、窓からの西日を浴びてつやつやしていた。

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「ほら、見てこのつぼみ! 大きいでしょう」
かすみの手の先にはパンパンに膨れてゴルフボールようようになっている蕾らしきものが付いていた。
「なんかすごいね」
本当にクレマチスなのか? と思いながらも、かすみの嬉しそうな顔に水をさせず、曖昧な返事となってしまった。

そのまま夕食をとり、酒とつまみを広げ、あれこれ四方山話に花を咲かせている間も、かすみはちょくちょくクレマチスのことを話題にあげた。

「大きな花を咲かせるために一つの蕾に集中させてるのよ、きっと」
「夜になるとすっごくはいい匂いがするの」
「植物も実は懐くんだよ、ほら、こっちに向かって蔓を伸ばしてるの」

部屋の隅に置かれたクレマチスは、光が入ってくる窓とは反対側にある友人のベッドに方に向かって蔓を伸ばしていた。

「ベッドに絡んじゃったら困らない?」
「なんで? 自分のベッドだし、手を伸ばしてるみたいで可愛いでしょ?」

かすみはすっかり心酔しているようだった。
自分も、まぁ楽しそうなのでいいか。と笑って流すことにした。

その夜、かすみのベッドの隣に布団を敷いてもらって寝た。
零時は過ぎていたし、久々にしゃべりまくったのですぐに寝ることができた。


結構お酒が入っていたせいか夜中に目が覚めた。
かすみの方を見るとぐっすりと眠っている。
起こさないようにそっと布団を抜け、トイレに立った。


用を足し、トイレの明かりを消すと部屋はぼんやりとした闇に沈む。窓から差し込む薄明かりが友人と窓辺のクレマチスの影を浮かび上がらせていた。

酔いも覚め、だいぶとスッキリした頭で部屋の中へ戻ろうとして足が止まった。


何か甘ったるい匂いがする。
……そういえば夜に甘い匂いがすると言っていた気がした。

しかしこの匂いはクレマチスの匂いなのか?
クレマチス自体あまり匂うイメージはない。
部屋の中に漂っているこの匂いは、どこか懐かしいような、初めて嗅ぐような、
薔薇ほどの密度はなく、金木犀よりも淡い。でも甘ったるい。
そんな匂い。

もう一度、窓辺の影を見た。

息が止まるかと思った。

クレマチスの影がうねうねと踊り、かすみの寝ているベッドの方へと伸びていく。
テレビなどで見る植物の成長観察記録、それを早回し映像で見ているような光景が、部屋の隅で起こっている。


まだ酔ってる? それとも夢?

ほとんど息もつけぬままじっとその場で硬直していると、クレマチスははち切れそうな丸い蕾を友人の顔の上にぶら下げた。

ふわりと匂いが強くなる

「フフフフフフフフフフフフ」
友人の笑い声が聞こえた。

その時、友人からモヤのようなものが立ち上り、蕾へと吸い込まれていった。

「ちょっと! かすみ」
思わず声が出た。
その瞬間、室内がふっと暗くなる。

「うーん」
かすみの声がする。
起きたのか?
意を決してベッドに駆け寄った。

「大丈夫なの? かすみ!」

再び部屋に明るさが戻ってきた。
どうやら月が雲に隠れただけだったらしい。

クレマチスは先程の奇行は幻だとでも言いたげに、以前見たままの姿で窓辺に佇んでいる。
かすみはまだ幸せそうな寝息をたてていて、起きそうな気配もない。
自分はそのまま布団の上で座り込み、朝まで友人とクレマチスを見張っていた。


翌朝、「みてみて、本当にそろそろ咲きそうだよ」
かすみはうれしそうにクレマチスに顔をよせる。
昨日より蕾の縁が濃紫に染まってきていた。

「最近は楽しみすぎて夢にまで見ちゃうんだよね」
幸せそうなかすみに昨夜の事は話せなかった。

「ねぇ、せめて枕は反対側にした方がいいよ」
自分はどうせ聞き入れてもらえないであろうアドバイスを残し、モヤモヤとした気分のままアパートへ帰った。


その数日後
「やっと花が咲いたの」と、笑顔のかすみに報告された。

珍しく甘い香りを身にまとい、バッチリとメイクまでしたかすみは、見慣れない男を両脇に従えていた。
「そうなんだ、……そちらは彼氏さん?」
「やだなぁ、そんなんじゃないよ。うちの子を見たいって言うお客さん」
男たちはどこに視線を合わせることもなく「うんうん」とうなづいている。
「ねぇ~、一緒にお花をみましょうねぇ」
普段のかすみとは思えないような甘えたような声。
猫のように男たちの腕に自分の頭をこすりつけて微笑みかけている。

見てはいけないモノを見てしまった気がして
「そっか、そのうち見に行ってもいい?」
とりあえず、お愛想でそう言ってみた。
「うん、いいよぉ。都合のつく日に連絡するねぇ」

「うんわかった。待ってる」
そうそうに手を振り、彼女たちから離れた。


あれ以来、彼女からの連絡はない。

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