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好きなことと給料のバランス

「好きなことを仕事にしよう」
最近、このフレーズが合い言葉のように使われているように感じる。
だけど、この考え方には一つ大きな問題がある。
好きなことを仕事にすると、給料が低くなりがちなのだ。

私は本が好きという理由で、書店員として働いているのだが、やはり給料は低い。
もう歳は30になり、大学時代の友達が続々と車を買いマイホームを建てている中で、自転車をこぎこぎ細々とアパート暮らしをしている。
好きな仕事ができているぶん普段はいいのだが、通帳を見たり結婚式に行って周りと比べたりすると、どうにもやるせない気分になってしまう。

ただ、好きなことを仕事にする良さというのもやっぱりある。
好きな仕事は続けやすいのだ。
私は新卒のとき、世の中の需要を考えて「これなら食いっぱぐれないだろう」とプログラマーになった。
ここで私がプログラミングを好きになれればよかったのだが、そうはならずに無理がたたって1年半で体調を壊し、2年で辞めてしまった。
その後、「本が好き」という理由で書店員になったのだが、やはり合っているようで3年が経とうとしている今でも「続けていきたい」と思えている。

好きなことを仕事にすると、仕事が生活の延長線上にあるように感じる。
「仕事だからしょうがない」と人生の時間を切り売りする感覚が少し薄くなる。
職場の本屋に週5で行っても、休日の2日は他の本屋に行く。
仕事と生活が「本」という媒体でつながっている。
この、「仕事が自分の生活と矛盾しない感覚」が私にとっては大事だったのだと思う。

ただ、そうはいっても好きなことを何でもかんでも仕事にできるかというと、それはやはり難しい。
例えば私は文章を書くのが好きなのだが、それを仕事にしようと思ってもできるものではない。
というのも、私の文章に自分の生活費を稼げるほどの需要がまだないからである。
好きなことを仕事にするにはバランス感覚が必要で、それは社会の荒波にもまれながら徐々に獲得していくものだと思う。

私は最近になってやっと、生活に手をかける余裕ができてきた。
休日に掃除機をかけ、買い物をし、夕飯を作り、食器を洗う。
以前はただ「めんどくさい無駄なもの」だと思っていたそれらの「生活」が、実はそれこそが日々を豊かにしてくれるものなのではないか、と思うようになった。
つまり、生活は仕事に先立つ。
好きなことを仕事にするにしても、生活ができる範囲でというのが私の持論になりつつある。

「好きなことを仕事にしよう」は希望の言葉にも呪いの言葉にもなりうる。
だから、その後に自分で「ただし、」をつけるのが必要なのではないか。
それが私にとっては「ただし、生活ができる範囲で」なのだ。

今日も私は書店員としての仕事を終え、夕飯を食べて食器を洗い、お風呂に入ったあとの寝るまでのわずかな時間で、この文章を書いている。
これが、私にとっての「好きなことと給料のバランス」なのである。

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