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マンガを貪り読みたくなるときもある

「マンガを貪り読みたい」
その衝動に駆られた私は、ヨダレを垂らしながら近所のツタヤに向かった。

歳を重ねるにつれて理性が強くなり、休日でも何か生産的なことをしないと気がすまないようになってしまった。
例えば、堅苦しい本を読んだり、一日中外出をしたり。
常にどこか焦っていて、自分でも何をこんなに焦っているのかわからない。
そんな日々を積み重ねていると、どうしようもなく無為な時間を過ごしたくなるときがやってくる。

私はそんなとき、ひたすらマンガを読むようにしている。
それも堅苦しいマンガではない。
「バキ」とか「WORST」とかそういう荒っぽいマンガを、頭空っぽにして読みふけりたいのだ。

ツタヤに着いた私は、気になったマンガを次々とかごに入れていく。
なんてったって、10冊借りても880円。
普段は高くてまとめ買いなんてできないマンガを、その鬱憤を晴らすような勢いでカゴに入れていく。
普段は資本主義社会に押し留められている己の欲望が、存分に羽を伸ばす。
ツタヤでの私はどこまでも自由だ。

そうして家に帰ったら、一心不乱にマンガを読み進める。
この時間だけは何も考えなくていい。
あるのは己の身体とマンガだけ。
脳の快楽物質がドバドバと放出されるのを感じながらマンガを貪り読んでいく。

最近、カターエフという作家の「ナイフ」という短編を読んだ。
その短編はこんなふうに始まっていた。

日曜日の公園の散歩ほど人間の値打ちを示すものはない。
パーシカ・コクーシキンは夕方六時に〈新池〉で彼の日曜の散歩をはじめた。まず彼は野天のモスクワ農工業組合休憩所へいってビールを一びん飲んだ。そのことは人生に対する彼の適切な態度と同時に、その節度をも示すものであった。

カターエフ「ナイフ」『賭けと人生』所収

”人生に対する適切な態度”
生産的なことばかりでもなく、消費的なことばかりでもない。
どちらかではなく、両方をバランスよくやっていくのが大事なのである。

私は気がつくと、5冊もマンガを読み終えていた。
夢中で読んでいたので頭がボーッとする。
休憩がてらトイレに立った胸のうちには、確かな満足感が宿っていた。

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