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仕事のある生活に慣れてきたのかもしれない

朝、起きると「ああ、今日も仕事か」と絶望に近い感情が胸に湧き起こる。
目覚めがそんな感じだから、出勤するまでも「行きたくない」とつぶやきながらグダグダと準備をするハメになる。
爽やかな朝の目覚めとは縁遠い生活を送っている。

ただ、そんな私が最近思うのが、休日は休日でしんどいかもしれない、ということだ。
私は一日中、家の中にいるということができない。
家にこもっていると、嫌だったことを反芻してしまって疲れたり、暇な時間に孤独感に襲われたり、アニメや本の過剰摂取で頭がボーッとしたりしてしまう。
だから一日に一回は外出するように心がけているのだが、特に行きたいところもないく、その結果として毎週ブックオフに通うのだが、やはり飽きがきてしまう。
それでもどこかには行かなければならずといった感じで、休日を過ごすのも一苦労なのである。

こんなだから、朝に起きて「仕事に行きたくない」と思っても、「でも家にこもってると夕方につらくなるんだよな……」と考えて、しぶしぶ仕事に行っている。
仕事に行ったら行ったで、それなりにやりがいを感じながら働けているので、けっきょく仕事に行く方が健康的な生活を送れているのかもしれない。

こんなふうに仕事にもいい側面があると思えるようになったのは、「仕事」のある生活が長くなってきたからだと思う。
大学を卒業してしばらくは、仕事はただただ嫌なことだった。
どうして自分の時間を奪われなくちゃいけないのか、どうして仕事をしなければ生きていけないのかがわからなかった。
これは、学生という「仕事をしないのが当たり前」の環境に今までずっと身を置いてきたからだ。
それから7年が経ち、「仕事をするのが当たり前」の生活にようやく身がなじんできた。

これで、仕事が一日5時間だったらなあと思う。
私が仕事に行きたくないのは、強制的に8時間も職場に拘束されるのが嫌だからというのが大きい。
人類学の名著とされている『石器時代の経済学』では、狩猟採集民が一日に4,5時間しか働かないことが明記されている。

もっとも明白で、すぐわかる結論は、人々が精だして労働していない、ということにほかならない。食物を獲得して、準備するための、一人当りの平均日労働時間は、四、五時間にすぎない。それどころか、連続に働くということもしない。生活資料探しは、きわめて断続的であり、ちょっと働いて必要なだけ手にいれると、ちょっと休むので、暇な時間がたいへんに多い。

『石器時代の経済学』

これくらいでいい、と私も思う。
一日に8時間も働くと、どうしても仕事中心の生活、しいては人生になってしまう。
これが一日に5時間だったら、もっと負担なく仕事に通えるし、仕事以外の生活も充実するだろう。

大学を卒業してから長くなり、確かに仕事のある生活には慣れてきた。
でも一方で、「どうしてこんなに働かなくてはいけないのか」という問いは常に胸の中を漂っているし、「そういうものだから」という答えには納得したくない自分がいる。
せっかくの人生なんだから、もっと自由にすごしていいはずだ、と思ってしまうからである。

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