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香港の“未来”を想う作者の傑作―『網内人』

 本作『網内人』は、日本でもベストセラーとなった『13・67』に続く作者の長編小説となる。

 本作のあらすじそのものはきわめてシンプルだ。自宅のアパートから飛び降り自殺をした妹の死の真相を探るべく、姉の阿怡(アイ)は風変わりな探偵・阿涅(アニエ)に調査を依頼する。
 妹は陰湿な虐めを受けてい、その犯人を探り当てた阿怡は探偵の手を借りて復讐を決意するのだが ーーというふうに物語の表層を軽くなぞってしまえば、極めてわかりやすい復讐譚のようにも見える。

 しかしながら『世界を売った男』や『13・67』で見事な騙りの技巧によって 読者をおどろかせてみせた作者のこと、本作もまた一筋縄ではいかない。
 阿怡と探偵の視点から描かれる復讐譚に、ある人物の視点からなるもう一つの逸話が絡み合う巧みな構成によって、現代の社会問題と陥穽とを鮮やかに描き出したのが本作で、一見するとサスペンスを基調にした長編小説に見えながら、作者ならではの仕掛けがふんだんに盛り込まれている。

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 『13・67』が描き出したものが香港の「過去」と「現在」だとすると、本作は香港の「現在」を活写してその「未来」を描き出そうとした物語ということができるかもしれない。
 ただ本作の舞台は、警察の腐敗がはびこり、中央政府が強権によって無辜の市民を虐げる――そんな日本人にとっては“他人事として”眺められる“わかりやすい”香港でないことはあらかじめここに記しておくべきだろう。
 ここに描かれている香港は、強欲なグローバリズムと行きすぎた情報化によって生み出された貧富の格差の著しい歪んだディストピアだ。

 さらには痴漢冤罪や学校裏サイトなど、我々日本人にも馴染みのある社会問題も交えながら、作者は、現代社会における人間の善悪というテーマに大きく踏み込んでみせる。

 さて、実をいうと、いま自分の手許には、昨年に作者から送られてきたイギリス版の結末を綴った原稿がある。作者の話では、版元からの意見で結末を変えてみた、とのことなのだけれど――果たして本作の日本版はどのようになるのであろう。台湾版をそのまま踏襲するか、それとも英版の結末を採るか、あるいは『世界を売った男』と同様、台湾版とも異なる日本オリジナルのものとなるのか。
 自分にもまだ判らない。ここではただ一言、乞うご期待、とだけ記しておくことにしよう。

玉田誠【たまだ・まこと】
現代華文ミステリ翻訳・紹介の草分け的存在。多数の華文ミステリ作家を輩出してきた「島田荘司推理小説賞」(台湾)の運営・選考にも初期より参画している。


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