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【読書感想文】壬生義士伝(2000年 浅田次郎 著)

日本人は比較的、宗教に関心が薄いと言われる。かくいう我が家にも仏壇すらない。それは「平和」の裏返しとも言えるのかもしれない。そんなことを考えた。

ときは幕末。勤王・尊王を合言葉に日本人同士が殺し合う異常な時代。南部藩の下級武士である吉村貫一郎は、文武ともに秀でたその能力を見込まれ、上士の子どもたちを指導する立場にあるが、藩は貧しく食べることもままならない。生まれてくる赤子が冬を越せるかどうかを心配するほどの状況で、彼は脱藩を決意する。収入を得るために新選組に入隊。腕を買われて活躍し、家族に仕送りを続ける。


吉村自体の人物像は、多分に創作が混じっているだろう。しかしおそらく、時代背景はかなり忠実に書かれているはず。だとしたら、この時代に生きる人たちにとって「生きる」ことそのものが、あまりに厳しい。飢えや戦争、侍の義理や建前を通すための理不尽な殺傷。そんなものに日々怯えて暮らさなければならないのだ。

 
このコロナ禍、緊急事態宣言が出され日本中が息を殺して過ごしていた頃にふと考えたことがある。毎日報道される死者のニュースを見て気がふさぐが、もしこれがウイルスではなく、どこかの国と戦争が起きていて、国内で殺された日本人の数だったとしたら。その恐怖はウイルスとは比較にならないだろう。そして幕末は当たり前のように、どこかの国どころか、日本人同士で戦争をやっていたのである。大阪や京都の町中で白昼堂々斬殺事件が起きたり、処刑された誰かの首がさらされたりしていた。そんな、常に死の恐怖と隣り合わせの時代に生きていたとしたら、ぼくもおそらく「死後の世界」や「成仏」についてもっと考え、死への恐怖をやわらげてくれる「宗教」に救いを求めざるをえなかったと思う。 

この「壬生義士伝」を読んでそんなことを考えてしまったのは、この小説が吉村貫一郎という人物を通して、徹頭徹尾「生き方」そして「死に方」について書いた本だからだろう。


それにしても浅田次郎の「読ませる力」は本当にすごい。わずか40年足らずの短い生涯を駆け抜けた吉村貫一郎と、人生のある一時期に彼と交錯した人々の回想という形で展開していく。冒頭から語られる吝嗇で銭に汚く、武士としての誇りもない人物像だったのが、語り手の話が進むうち、徐々に、やさしさと強さにあふれた、まがうことなき「侍」としての吉村貫一郎が現れてくる。その見事な描写は、まるで、一本の丸太から神々しい仏像が掘り出されるような職人芸を思わせる。


中井貴一主演の映画もとてもよかったが、この原作を読んだあとでは、映画はやはり上澄みのスープだけ、と感じられてしまう。小説「壬生義士伝」は、様々な食材がどろどろにとけあい、もっともっと濃厚で深い味わいをもつ絶品の一皿であった。

 


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