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読書⑦ 歴史とは、未来への創造である

私は以前、司馬遼太郎記念館へ行った。

そこには平成元年、当時の卒業前最後の学期相当の小学生が使う教科書に掲載された司馬氏のメッセージが展示されている。

私は、歴史小説を書いてきた。もともと歴史が好きなのである。 両親を愛するようにして、歴史を愛している。
歴史とはなんでしょう、と聞かれるとき、「それは、大きな世界です。かって存在した何億という人生がそこにつめこまれている世界なのです。」
と、答えることにしている。
私には、幸い、この世にたくさんのすばらしい友人がいる。
歴史のなかにもいる。

平成元年「小学校国語六年下」大阪書籍

この一節は全体の冒頭に過ぎません。

文書のタイトルは『21世紀に生きる君たちへ』

平成元年、つまり20世紀末に書かれた、「未来についての話」なのです。

歴史は「亡くなった人が、昔にやったこと」ではないのです。私たち21世紀を生きる人間が、未来を創っていくための資源なのです。

私は今の瞬間からの未来を創っていくためにこの本を開きました。

歴史とは何か

そういえば歴史が好きだった

小学校、中学校、高校まで通して、学校で先生が教える科目のなかでは歴史が一番好きでした。
他の科目は結局何をやっているのか実態がわからないままで、テストで回答できるようにとにかく勉強していました。一方、歴史は「人間がやっていること」だと私にはわかりやすく、今振り返っても、当時の時点で勉強そのものに意味がある向き合い方ができていたのではと思います。

私が受験した試験は、せいぜい大学入試センター試験(当時は平成の世)までで、聞かれることは空欄補充や正誤問題でした。教科書の大事な単語と背景をマークして理解していれば解ける*ものでした。
*と言いつつも私はセンター試験で得点を落としたので、これが本質ではないと思います。あくまで個人の感想です。

歴史は、出来事(つまり教科書の大事な単語)以上に、それらの「行間」つまり原因に奥行きがあって面白いのです。

行間には2種類あります。

本書の言葉を借りると、出来事の原因について「因果的見方」をする行間と、「機能的見方」をする行間です。

前者は「なぜ起こったのか」という観点です。そして後者は「いかに起こったのか」という観点です。
この違いは何でしょうか。

問題用紙の上で問われるのは基本的に後者です。
設問では「なぜ起こったのか記述せよ」と書かれていても、設問者が回答者に求めている答案のフォーマットは「いかに起こったのか(教科書を使った授業で原因についてどう習ったか)」でしょう。

前者と後者の違いは「問いの主体」です。
後者は「いかに出来事は起こったのか」と読みかえ、出来事を主体としています。出来事は起こったものとして、どのような背景で起こったのかと考えることを求めます。
これに機能的という言葉を充てています。
前者は「なぜその出来事を起こしたのか」と読み替え、人間を主体としています。人間は「なぜやったのか」考えることを求めます。
これに因果的という言葉を充てていますが、こちらは回答が難しいでしょう。
なぜなら人間が何かするとき、なぜやったのかをその本人ですらいつも答えを持っているとは限らないのではないでしょうか。

ここが、因果的行間の奥行ある解釈余地で、私が面白さを感じた部分でした。

歴史は過去の暗記ではなく解釈

上の面白さが伝われば、「歴史って暗記じゃなかったのか?」と感じるのではないでしょうか。
勿論、暗記の側面もあります。
しかしそれが「歴史」のすべてではなく、「歴史的事実」は教養として覚えておくべき(つまり暗記しておくべき)ということなのです。

過去をできるだけ知る

歴史的事実とは以下のように説明されます。

歴史的事実とは何か。これは、少し綿密に研究せねばならぬ重大な問題であります。常識的な見方によりますと、すべての歴史家にとって共通な基礎的事実というものがあって、これが謂わば歴史のバックボーンになる。へスティングスの戦闘が行われたのは1066年だという事実などがその例だというのです。

本書

そのうえで、歴史家の立場について以下のように説明しています。

けれども、この見方については次の二つの考察が必要になります。第一に、歴史家が特別に関心を持つのは、こうした事実ではありません。大戦闘が行われたのが1066年であって、1065年や1067年でないこと、それがおこなわれたのがへスティングスであって、イーストボーンやブライトンでないこと、こういうことを知るのは確かに大切でしょう。歴史家はこういう点で間違いがあってはなりません。しかし、こういう点が強調されるたびに、私は、「正確は義務であって、美徳ではない」という言葉を思い出します。正確であるといって歴史家を称賛するのは、よく乾燥した木材を工事に用いたとか、うまく混ぜたコンクリートを用いたとかいって建築家を称賛するようなものであります。

本書

「第二の考察」について、この後に上記の第一の考察以上に比喩や抽象的な概念を交えた説明がされますが、第一の考察の部分で言わんとしていることはイメージできたのではないでしょうか。

つまり、材料としての過去の事実を正しく知り、それを使って作る料理が歴史であると私は解釈しています。

現在だって進行中の歴史

ところで、「歴史家」とは何でしょうか。

私は本書を読み、私も歴史家の一人であると思うに至りました。
読んでくださっている皆さんもそうです。

著者は著者自身についてこのように述べています。

主要資料と考えるものを少し読み始めた途端、猛烈に腕がムズムズして来て、自分で書き始めてしまうのです。
(中略)
書けば書くほど、私は自分が求めているものを一層よく知るようになります。

本書

歴史家は歴史の本を書く職業であるという一般的な印象を踏まえたうえで、
「歴史の本を書くから歴史家なのではなく、"求めて、知ろうとし、考える"から歴史家なのである」
という主張です。

過去から情報を得て、自分で考えて知識に変え、知識を未来に活かすということは私たち誰もが求められています。
すなわち、現在進行形で歴史が創られているのです。

歴史を創りたい私はどうするか

歴史の元になるのは出来事の「情報」です。
とはいえどんな情報でも歴史になるわけではありません。
後世に何度も利用される(つまり歴史家が何度も資料として利用する)、あるいは、よほどその時代の人間の印象に残る必要があります。

偉い人がやったことは歴史になるか?

では、元々注目を集めるような人物の行動が、歴史なのでしょうか?
つまり歴史を創るには偉くなる必要があるのでしょうか?

この問については本書では両面の見方を示しています。
*詳しくは参照されてください

私の考えは、歴史を創った人が偉人ではないかというものです。

例えば役職上の「偉さ」においては同列である内閣総理大臣について、第1代伊藤内閣は小学校~高校の全教科書に数ページにまたがって掲載され、間違いなく「歴史」である一方、第41代小磯内閣は中学か高校の資料集で見たような気がするほどの印象です。

事件を起こすと歴史になるか?

「偉さ」ではないとすると、起こした出来事のインパクトの大きさこそ歴史となるポイントであると考えられます。

ここでの大きさとは、「数」のことです。

本書内でも、以下のように触れられています。

レーニンはこう申しました。「政治は、大衆のいるところで始まる。数千人がいるところでなく、数百万人がいるところで、つまり、本当の政治が始まるところで始まる。」

本書

近代の、特に革命の機運高まる当時においては「政治」という概念がきわめて重要なものでした。
この「政治」を「歴史」と言い換えても、当時の価値観で考えると違和感ないのではないでしょうか。

しかし、すべての数字そのもののインフレが進んでいる現代において、この数百万の数字は歴史になる数字でしょうか?
(ChatGPT1億人のクラスの数字は、歴史になると思いますが..)

歴史家の気持ちで考えてみる

ここで視点を、歴史を語る「歴史家」の方へ向けたいと思います。
歴史家は"求めて、知ろうとし、考える"姿勢を持つ人々であることを述べましたが、彼らに求められる方法を考えられないでしょうか?

解の一つが、インフルエンサーになるということだと思うのです。

このインフルエンサーはただ消費される情報を流して終わりの一過性のものではなく、発信を受け取った側が考え、次の発信をしたくなるような影響力を発揮するのです。
質の高い、資産として残るような「知識」を伝えることでこれができると思います。

例えば、世界を良くするアイデア。
あるいは、世界を平和にする方法。

かつては、歴史家になるためには、(いくら姿勢の問題であるとはいえ)情報元の資料にリーチする必要がありました。また見つけてもらえる資料を残すことも限られた人にしかできなかったことでした。

現在は違います。誰でも歴史家になることができ、誰もが書くことができます。

歴史を創りたい私たちはどうするか。

まとめ

最初に紹介した、司馬氏のメッセージは以下のように締めくくられます。

原始時代の社会は小さかった。家族を中心とした社会だった。
それがしだいに大きな社会になり、今は、国家と世界という社会をつくり、たがいに助け合いながら生きているのである。
自然物としての人間は、決して孤立して生きられるようにはつくられていない。
このため、助け合う、ということが、人間にとって、大きな道徳になっている。
助け合うという気持ちや行動のもとは、いたわりという感情である。
他人の痛みを感じることと言ってもいい。
やさしさと言いかえてもいい。
「やさしさ」
「おもいやり」
「いたわり」
「他人の痛みを感じること」
みな似たような言葉である。
これらの言葉は、もともと一つの根から出ている。
根といっても、本能ではない。だから、私たちは訓練をしてそれを身につけねばならない。
その訓練とは、簡単なことだ。
例えば、友達がころぶ。ああ痛かったろうな、と感じる気持ちを、そのつど自分でつくりあげていきさえすればよい。
この根っこの感情が、自己の中でしっかり根づいていけば、他民族へのいたわりという気持ちもわき出てくる。
君たちさえ、そういう自己をつくっていけば、二十一世紀は人類が仲良しで暮らせる時代になるにちがいない。

平成元年「小学校国語六年下」大阪書籍

「二十一世紀は人類が仲良しで暮らせることができた時代であった」
と歴史家が後世で解釈できるような資料として残る、そんな仕事と人生を私たちが21世紀を生きる間に絶えず生み出していきたいものです。

本書、司馬氏、私で共通しているであろう歴史への向き合いのテーマを共有し、終わりとします。

「歴史とは現在と過去との対話である」

歴史家として、一緒に未来を創造しましょう。

今回の本 ※司馬遼太郎のメッセージとややこしくなりましたが


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