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【P-002】マーケティングは昭和プロレスに学んだ!(1)

人の欲求は様々で、かつ複雑です。「もっと!もっと!」という欲求は、
時間と共に変化し、求めるものは、より高くなり、広がっていきます。
今と同じ状況では満足出来なくなる訳です。
提供する側は、より高く、時には深く、そして広がった内容を
創り出さなければなりません。
人は自分で自分の欲求はわからないので、提供する側が、それを
見越して提示しなければなりません。
誰もが(ユーザー/顧客)が思いつくような内容のものはもちろんダメで、
その上を行くものでなければ反応しません。
この辺が、マーケティングが重要だと言われる所以です。
マーケッター、企画マン、開発マンの腕の見せ所ということです。
そんな人々の欲求を上手く反映してきたもののひとつに「プロレス」が
あります。

力道山の登場

力道山が木村政彦と組んで、シャープ兄弟を相手に蔵前国技館で興業
を行ったのが1954年2月。それから60余年たった現在では、多様な
プロレス団体が存在し、それぞれのカラーを打ち出し活動しています。
プロレス黎明期と比較すると、現在では選手の身体能力も高く、技も
高度になっています。私もプロレスを観ますが、選手の動きに感心する
一方で「いや~、そこまでしなくてもいいのに…」と思うことも多く
なりました。‘行き過ぎ感’‘やり過ぎ感’のような感覚を覚えます。
まぁ、そこは個人の捉え方なので何とも難しいところですが、それは
観客の「もっと!もっと!」を追求した結果なのでしょう。

プロレスのマーケティングセンス

戦後史を語る時「力道山・プロレス・街頭テレビ・空手チョップ」は
外すことが出来ないキーワードです。昭和38年の暮れに、酒の席での
ちょっとした喧嘩が原因で帰らぬ人となってしまった力道山。
戦後の日本人に希望を与えたスーパースターであり、当時の先進メディア
であったテレビと連携して日本にプロレスを根付かせた抜群のビジネス
センスを備えた人でした。力道山の時代から、プロレスがやってきた
様々なアイデアは、現在から振り返ってもマーケティングのセンスを
感じる秀逸なものが多いです。

TVゲームとプロレスは似ている!?

1990年代、家庭用テレビゲーム市場が活況を呈していた時代がありました。
人気ソフトが発売されるとなれば、販売店には徹夜の行列が出来、1本の
人気ソフトの売り上げで、その月の売り上げ目標が達成される、といった
時代です。その後、ハードのスペック競争、ソフトの‘映像作りこみ競争’
になり、開発費がかかるばかりで、販売はそれほど伸びず、市場は冷え込
んでいきました。よりよいスペックを追い求めることは日本企業の得意と
するところでしたが、もはや‘行きつくところまでいった’という印象を
持ちました。その後は、機能もそこそこに落ち着き、現在に至ります。

プロレスにも同じような感覚を持ちます。こちらは機械ではなく、人間が
やることなので、出来ることに限界はありますし、観ていて‘危険だ’と
感じてしまうような技も‘そこそこに’落ち着いてくるはずです。

現在のプロレスは第1試合からスピーディーな展開で、派手な
パフォーマンスや高度な技が飛び出します。これもファンの欲求を
満たす結果の進化なのでしょうが、観ていると少々疲れます。

日本のプロレスの歴史を振り返ると、そこには興行のスタイルがあり、
暗黙のルールもありました。現在とは全く違った世界となっていました。
プロレス興行の最初1~2試合は「前座試合」と呼ばれていました。
若い選手が、練習の成果を披露するような地味な展開で、大技は使わず、
せいぜいドロップキックが見せ場でした。これは、その後の中堅選手、
メインイベントを引き立てる役割も果たしていました。観客も試合が
終わるごとに、徐々に気分を盛り上げて、メインイベントを楽しみに
待ちました。少なくとも平成になってからしばらくしてもプロレスには、
そんな‘昭和感’が残っていました。現在、そうでなくなっているのは、
観客の欲求が変わってきた結果なのでしょう。

暗黙のルール

ベースボールマガジン社「発掘!日本プロレス60年史 凄技編」という本に
流智美さんの「日本マット黎明期の必殺技に隠された‘自主規制’の実態」
という記事があります。昭和のプロレスに存在した暗黙のルール。興味深い
ので、以下引用します。

「① メインエベンターが使う必殺技を、前座の選手が使ってはならない
  ②上位陣(セミ以上のいわゆるエース・クラス)の間において、必殺技は
       絶対に重複してはならない(つまり別の選手の必殺技パクリは厳禁)
 ③相手が受身を取れないような技を使用してはならない
 ④一つの試合に、同じ(必殺)技を二回以上出してはいけない
 ⑤試合開始から5分くらいまでは、腕、脚の取り合いを基本とした寝技の
     攻防を見せ、そこから徐々に盛り上げていく(ハイスパット=high spot
     を試合冒頭から仕掛けることの厳禁、つまり大技から始めるなど、
     もってのほか)
⑥若手はドロップキックなどの空中技を使うべからず
⑦「相手の協力があるのでは?」と観客に疑義を持たれるような技は
      使用厳禁
⑧フィニッシュ時、レフェリーによるスリーカウント裁定に対して
     絶対服従」 (引用終わり)

昔からプロレスを観てきた身としては、現在の早すぎる、派手過ぎる展開
を少し押さえて、上記を参考にメリハリを付けて欲しいと思いますね。

焦らす戦略

今の試合ではあまり見かけませんが、その昔は「60分3本勝負」という形式がありました。力道山の試合は「3本勝負」が多く、そのほとんどが「2−1」で力道山の勝ち、というのは有名な話しです。強いのであれば「2−0」での勝利が多いはずだと思いますが、1度負けが記録されるのです。
一旦ピンチになるのです。そして観客をドキドキさせるのです。観客を焦らして、ドキドキさせて、最後に空手チョップをさく裂させて勝つのです。力道山のこのセンスが何と言っても抜群なのです。

水戸黄門は最初から印籠を出さない。
ウルトラマンも最初からスペシウム光線を出さない。

一度ピンチになって、観ている方を焦らして、焦らして最後に勝つ、
これは日本人にとってしっくりくるパターンなのでしょう。

シャープ兄弟と闘ったのは昭和29年です。戦後9年です。まだまだ
戦争の爪痕が至る処に残っていた時代です。戦争に負けて気分が
沈んでいる日本人は、体の大きな外国人を次から次へと空手チョップで
倒す力道山に喝采を送ります。こんなに直接的に感情移入出来ることは
ありません。まさに時代の空気を見事に読んだ力道山のセンスは抜群です。
さらに始まったばかりのテレビの電波で全国に放送されたのですから、
普及促進のために設置された街頭テレビは、どこも黒山の人だかりに
なったことも納得です。
この成功で、プロレスは、相撲、プロ野球、ボクシング等と並ぶ
テレビの優良コンテンツになっていきます。

昭和のプロレスには、マーケティングの参考事例が満載です。


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